数日前、近所の公園に桜の様子を見に行くと、大方は満開だったが、少し日陰になった細身の幹の花はまだ五分咲きだった。硬い蕾はピンクが濃くて艶やかで、これくらいの景色が長く続けばいいのにといつも思う。だが、今日通りかかると、この蕾もいつのまにか開き、午後の大風でほとんどが散って五分の葉桜になっていた。
まだ寒い2月の中頃からアパートの小さな庭にやって来ていたヒヨドリも渡りに出たらしく、姿を見せなくなった。
ちょうど朝食の頃にやってきて生け垣に止まるので、パン屑を投げてやると、夢中になって食べていた。そして、だんだん慣れてきて、直ぐ目の前までやって来るようになり、投げたパン屑を空中でキャッチするようになった。「もうすぐ手乗りになるな」なんて思っていたのだが、数日前、離れた木に止まってこちらを見ていたかと思うと、投げたパン屑には興味を示さずに、甲高い鳴き声を一声上げ、勢い良く羽ばたいて飛び立っていった。それきりやって来なくなった。思い返せば、あれは旅立ちの挨拶だったのかもしれない。
先週は、大学時代の親友の娘が東京の大学に通うことになって、その引越の手伝いをした。もう35年以上前、ぼくは中野に住んでいて、親友は隣の高円寺に住んでいた。歩いて30分あまりと近かったので、よく彼のところに泊まりに行って、いろいろな話をした。恋愛のことで悩んだり、勉強を教え合ったり、進路でまた悩んだり、何もかもあけっぴろげで話ができる彼とは、卒業して彼が地元の熊野へ帰ってからもよく連絡しあっていた。
青春時代はまだ昨日のような気がしていたのに、もうぼくたちの次の世代が同じような体験をする年代になっていた。ぼくたちが青春時代を過ごしたのと同じ中央線沿いの街に住む彼の娘は、これからどんな経験をして、どんなふうに成長していくのだろう。今の若い人たちは、社会に希望が持てず、苦しい生活を強いられていると言われるけれど、新たな生活はじめる彼女は希望に溢れていて、本来なら我々大人が彼らの未来に希望を見せて元気づけてあげなければいけないのに、こちらのほうが元気をもらった。
会社や役所勤めの人は移動の季節であり、そんな連絡も届くし、クラウドの名刺管理アプリが毎日のように知人の移動を知らせてくる。フリーランスのぼくには移動はないけれど、新しい世界に飛び込むつもりで、気分を一新していこうと思う。渡りの前に挨拶に来たムクドリを見習って。
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