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レイラインハンター内田一成の「聖地学講座」
vol.86
2016年1月21日号
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◆今回の内容
1.石の信仰
・山や岩に見る磐座信仰
・身近な石の信仰
2.お知らせ
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石の信仰
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昨年の夏から福島県のいわき市で聖地のフィールドワークを続けてきました。その成果の一部は、この講座でも紹介しましたが、今、2015年度の調査報告書のまとめが佳境を迎えています。
いわき市は、小豆島を抜いた香川県とほぼ同じ面積を持っています。また、その歴史を見ると、科学史的にはフタバスズキリュウの生息していた8500万年前の白亜紀後期まで遡り、人類史的には1万5000年前の縄文時代初期から現代に至るまで、波乱に富んだ土地の記憶が刻まれています。
今年度の報告書では、いわき市全体の概要を把握しマクロな視点でどのような聖地の活用が可能かを提案するのが趣旨なのですが、とにかく要素がたくさんあって、まとめるのに苦労しています。しかしそれもだいぶ見通しが立ち、いわきという土地が秘めた魅力の大きさを再認識しています。
今回の講座は、「石の信仰」をテーマにしましたが、ずっといわきの聖地について考えてきたことが影響しています。というのも、「いわき」がその名のとおり、岩=石の信仰に深い関わりがあり、その信仰のバリエーションを考察し続けていたからでした。
「いわき」は漢字では「磐城」と表記されますが、これは磐座(いわくら)を意味しています。磐座とは神が降臨する岩、神の依代としての岩のことです。いわきでは縄文時代から聖山や聖なる岩にまつわる信仰があり、後にこの土地を支配した豪族「岩城氏」や「岩崎氏」の名にもそれが伝えられました。岩城は磐城と同義であり、岩崎は縄文人たちが聖地とした海に突き出した岩の岬という意味です。古来から、岩や石を神聖視する土地柄であり、それが今も引き継がれているいわきの聖地を分析していくと、おのずと岩や石に対する信仰の細部が見えてくるのです。
いわきの聖地の詳細はまた後の機会として、今回は岩と石の信仰の概要を紹介してみたいと思います。
【山や岩に見る磐座信仰】
いわき市の中心部は、阿武隈の山々を背景にして、海側が開けた広い盆地のような地形になっています。そして、ここから見える特徴的な山々や丘が聖地とされ、それぞれが磐座の要素を備えています。それらに特徴的なのは、山全体が岩峰であるか、あるいは頂上部に巨岩が林立する磐境(いわさか)を持っている点です。磐境とは磐座の一つの形態で、大きな立石が並んでいるものを指します。
日本は国土の70%が山岳地帯ですから、岩峰も数多くあります。修験道では、険しい岩峰を修行場としますが、その代表的な山の一つに四国の石鎚山があります。空海が修行したことでも知られるこの山の名は「石の霊(いしのち)」という言葉が転訛したものです。本来、石槌山は石鎚神(石の霊)が降臨する磐座であり、さらに磐座そのものが神格化されたのでした。
中世以降は、四国霊場の整備によって仏教化し、石鎚神が蔵王権現に置き換えられました。明治の廃仏毀釈運動以前は、頂上、中腹、山麓の三ヶ所に蔵王権現が祀られていましたが、その後は、いずれも「石土毘古神(いしつちひこかみ)」に戻されました。
京都の上賀茂神社には「影向石」と呼ばれる磐座があります。ふつう、神社の境内に磐座がある場合は、本殿の後ろにあるか、あるいは神籬(ひもろぎ=結界のこと)に囲まれて立ち入れないようになっているのですが、この影向石は神籬もなく剥き出しになっているため、知らずに参拝する人はただの岩と見て通りすぎてしまいます。なぜ無造作に剥き出しにされているのかは謎ですが、年に一度だけ、影向石が紛れもなく神聖な磐座であることを示す日があります。
それは、京都を代表する祭礼である葵祭の日です。この日、勅使が上賀茂神社を訪れ、影向石の向かいにある橋殿に座して、天皇が賀茂の神に対して天下泰平と五穀豊穣を祈る「御祭文」を読み上げます。これに対して、影向石の上に座した宮司が「返祝詞」を唱えます。これは、勅使に対する神の応諾の意味があり、影向石の上に座した宮司に神が乗り移って、言葉を発することを表しているのです。
上賀茂神社は、もともと山城国の産土神で、古くは背後の神山をご神体山として、影向石の上に社殿が築かれていました。神山は磐境が立ち並び、山自体が磐座として崇められ、これを奥宮として、影向石を抱いた社殿は里宮の位置づけだったのでしょう。
桓武天皇の平安遷都の際に、平安京の守り神としての役割が与えられ、宮都の守護神としての体裁が必要になって、今に残る壮麗な社殿が造営されましたが、そのときに、新社殿の用地が旧社殿の場所では足りず、神山に近い平坦地に移されたため影向石が露出してしまったという説もあります。
磐座を持つご神体山を崇める神社としては、三輪山をご神体山とする大神神社や守屋山をご神体山とする諏訪大社などが典型ですが、自然信仰を元とする古い神社は、多くがこの形態です。
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