今からちょうど30年前、20代の半ばに新疆シルクロードを2ヶ月あまり巡った。そのとき、たくさんの友人ができた。
30年経って、それぞれがまったく違った場所と環境にいる。中には鬼籍に入ってしまった者もいる。
歳も近く、いちばん仲良くしていた漢族のKは、今は海南島一のリゾートホテルのオーナーとなり、チャイナドリームの先頭を突っ走っている。当時、新疆大学の日本語科の助手で、スルーガイドをつとめてくれたウイグル人のSは新疆大学の副学長となった。西域南道のオアシス、ホータンのガイドでサービス精神旺盛だったAは若くして地元旅行社の支配人になったが、重責を担った直後に脳溢血で倒れ、帰らぬ人となった。
当時中国共産党の青年部の政治委員をつとめていたSは、その後出世して党幹部になったという話を人伝に聞いた。いっぽう、ウイグル人の友人の中には、東トルキスタン独立運動に身を投じ、中国当局と戦っている者もいるし、さらに幾人かはアルカイダに合流したと噂に聞いた。
先週のフランスのテロから、30年前の旅で出会った友人たちを何度も思い出す。
新疆シルクロード地域では、当時から漢族とウイグル族との軋轢があったが、まだ表面化していなかった。中共が開放政策をとる以前で、外の世界との接触が少ない時代だったから、闖入者のぼくは珍しがられ、漢族の友人もウイグル族の友人も、心を開いていろいろ話してくれた。
新疆の歴史はある程度は知っていたから、ウイグル族の不満はよく理解できた。漢族の友人たちは、彼らの親の世代が、日本でいえば屯田兵や満蒙開拓団のような立場で新疆に入ってきて、なんとかウイグル族と仲良くやっていきたいという真摯な気持ちを持っていて、それもよくわかった。
漢族とウイグル族の友人に挟まれて、領土や国家ってなんだろうと考えさせられた。
民族自決や国民国家の理想はよくわかる。でも、それは19世紀の帝国主義から離脱する一つの方便だったともいえる。
一つの民族が自分たちの歴史と文化を受け継いでいく領土を持ち、他国から干渉されず、政治的決断を自分たちだけでできる「国」を持つこと。今でも、それは尊重されるべきことではあるけれど、もう一つ上位の統合概念を生み出す時代にあるんじゃないだろうか。
人類の長い歴史を振り返れば、国や民族というのは固定的なものではなくて、常に移り変わっていくものだとわかる。中国でも何度も王朝が変わっているし、日本だって、何万年も前にまだ陸続きだった列島に大陸から人が渡ってきて、それが縄文に移り変わり、そして、また大陸や朝鮮半島から人がやって来て、土着の縄文人たちをほとんど押しのけて弥生から今に続いている。今、「日本民族」といわれているような民族が誕生してからたかだか2000数百年しか経っていない。しかも、弥生以前に列島に住んでいた縄文人とのハイブリッドだから、「純粋」とも言えない。
グローバル化がどんどん進んでいる現代から1000年も経てば、民族はシャッフルされて、「民族」という概念が希薄になっているかもしれない。
短いスパン…たとえばこの30年で見ると、一人一人の人生はまったく違った展開を見せている。新しい資本主義態勢に順応してとほうも無く豊かになった人生もあれば、逆に原理主義に走ってテロリストとなった人生もある。でも、どちらの人生を生きている者も、一個人として見れば違いなどまったくない。豊かさが永遠に続くことはありえないし、またラジカルに世を変えても、また別な不満が出てきて別なラジカリズムに倒されることになる。そんなことを続けていくうちに、地球は荒廃して、人の住めるところではなくなってしまうかもしれない。
政治信条や宗教的な価値観というのはいったん横において、まず、一人の人間として物事を考えてみること。既成の主義主張を唱えることはやめて、ゼロから人類が等しく幸福になるための道を「個人」として考えること。
今それをしないと、ぼくたちは一番大切なものを失ってしまう。
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