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レイラインハンター内田一成の「聖地学講座」
vol.73
2015年7月2日号
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◆今回の内容
1 自然災害を警告する聖地
北からの魔の侵入を防ぐ風切地蔵
『生態智』を伝える聖地
2 お知らせ
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自然災害を警告する聖地
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拙著『レイラインハンター』の中でも紹介しましたが、白山を開いた泰澄大師は、土地鎮めの専門家としても知られていました。
泰澄は、大地の下で魔物が暴れているとされる場所に、経文を納めた鉢を埋めて、魔物の動きを封じ込めたとされています。そうした場所は、今でも鉢ヶ崎や八ヶ崎と呼ばれています。
能登半島の突端に位置する珠洲市には鉢ヶ崎があり、ここを起点として南西に向かって、能登島、七尾市、羽咋市にも八ヶ崎があります。この4点を結ぶと、能登半島を北東から南西に横切る長い直線となります。
能登半島は、邑知潟(おうちがた)断層帯とよばれる巨大な活断層帯が横切っているのですが、能登における泰澄の土地鎮めのラインはまさにこの断層帯の中心を貫いているのです。
邑知潟断層帯で地震が起これば、断層帯周辺の広い地域で震度7の揺れが襲い、深刻な被害を蒙ることが予想されています。過去の地震活動の記録は確認されていませんが、3200年あまり前に一度大きな地震を起こし、さらに9世紀以前にも地震があったのではないかと推定されています。泰澄は7世紀後半から8世紀中盤に生きた人ですから「9世紀以前」に符合します。
泰澄の時代は、近畿地方で大地震が頻発しました。日本書紀に記録が残る白凰地震は、684年に南海トラフを震源として起きたM8.4の巨大地震で、四国の太平洋沿岸を巨大津波が洗い、近畿全域で多くの人が犠牲になりました。701年には丹波から若狭湾周辺に大き
な被害をもたらした大宝地震が発生。734年には畿内七道地震、745年と762年には美濃地方に甚大な被害をもたらした大地震の記録があります。
頻発する近畿の地震を考えると、邑知潟断層帯でも地震があった可能性も考えられます。泰澄は、その地震を大地に眠る魔物の仕業として、これを封じるための呪術を行ったのかもしれません。
東日本大震災以降、地震や津波、火山災害の危険度が非常に高まった現在、史実に記録が残っていなくても、こうした事例から地震や津波災害の危険性を知って、備えておくことも重要です。
ちなみに、邑知潟断層帯での地震は1200年から1900年周期と考えられているので、すでに危険領域に入っているといえます。
今回は、このように、現在に残された自然災害を指し示す、先人が残した目印の話をご紹介します。
【北からの魔の侵入を防ぐ風切地蔵】
これも『レイラインハンター』で取り上げた事例ですが、長野県の白馬村では、「風切地蔵が村を守ってくれている」という言い伝えがあります。今でもお年寄りに話しを聞くと、「風切地蔵があるあたりを境に、雪も少なくなるし、災害も少なくなるんだ」と当たり前のように言います。
2007年に地元のNBS長野放送で、長野県内の主要なレイラインをたのがこの風切地蔵でした。
北アルプスの主峰の一つである白馬岳のすぐ東隣りに位置する小蓮華山のピーク、その麓の落倉集落、さらに南西に10kmあまり離れたかつての善光寺道の途中にある柄山峠、この三ヶ所それぞれに風切地蔵が安置されています。さらにこの三つの地蔵は、一直線に配置されているのですが、このラインは冬至の日の出と夏至の日の入りを指すように向けられているのです。
長野県の北部では、冬至と夏至を意識したレイラインが多く、たとえばこの地方の修験道の中心地であった戸隠神社奥社に向かう2kmあまりの直線の参道も、同じ方向を指し示しています。また、上田市にある生島足島神社の参道は、夏至の日の出と冬至の日の入りの方向を結ぶ直線になっています。
そうした特徴的な方位感覚を持つ地方にあって、風切地蔵も同様に配置されているわけですから、明確な呪術的意図があったと考えられます。
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