昨日は、ネパールを大きな地震が襲ったが、ちょうどその朝、チベット仏教のことなど考えていた。
先日、ダライラマが「転生活仏」という制度を自分の代で終わりにすると発表して、波紋を呼んだ。長年続く伝統に終止符を打つというのは、大きな勇気が必要だ。転生活仏という制度に便乗した利権も多いから、当然、大きな抵抗もあるだろう。
「伝統・文化を大切にしなければならない」とは常套句だが、全ての伝統や文化をそのまま温存すればいいというものでもない。とくに転生活仏制度は、一種の人身売買のようなものでもあり、生来の「貴種」などというものはありえないのだから、こんな制度が残っていることは恥でもある。
そもそも、転生活仏という制度は、ダライラマが属するゲルク派と呼ばれるチベット仏教のセクトのオリジナルではなくて、対抗勢力であるカルマ・カギュー派が伝統としてきたものを信者獲得のために16世紀の中頃に剽窃したにすぎない。ゲルク派は攻撃的なセクトで、カルマ・カギュー派と熾烈な殺し合いをしてきた歴史がある。
ダライラマは平和の象徴のように言われているが、それは、彼が中共の侵略に抗したことで、西側世界が政治的に利用しやすかったという側面がある。
ダライラマはクレバーな人だから、西側のプロパガンダの看板に成り下がっていたわけではなく、その立場を積極的に利用して、世界がまるで見向きもしなかったチベットに目を向けさせ、チベット仏教世界を統合するという重要な役割も果たした。それで、自分の役割は十分に果たしたと思ったのだろう。
さらには、転生活仏という布教戦略ももう時代遅れとなり、それに群がる利権を排除し、チベット仏教のスタイルを真似たオウムのようなカルトが出現することにもブレーキをかける意味もあるだろう。
これからチベット仏教はどう変わっていくのだろうと考えていた矢先に、当のチベット仏教の本拠の一つであるネパールを地震が襲ったので驚いてしまった。
今回の地震で被害を受けた方々にお見舞いすると同時に、これを新しい時代へ向けての復興の契機とされることを願いたい。
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