昨年のちょうどいまごろ、久しぶりに帰省したら、母からふいにお守りを渡された。母とぼくが、ちょうど同じ星の巡りの悪い年に当たるので、自分のお祓いに行ったついでにぼくの分のお守りも買ってきたのだという。それをこの一年間、普段持ち歩く手帳のポケットに入れておいた。
母は、けして信心深いわけではないし、占いの類にもほとんど関心がないのだが、ときどき、なんの脈絡もなく星の巡りなどということを思いつく。そういうときは得てして母親の勘は当たり、あとから振り返ってみると、重大な危機を知らずに回避していたり、危機の中から大切な教訓を得たりするものだった。
先週の水曜日、氷雨の降る中を早朝から都心の打ち合わせに出かけた。起きた時から背中に違和感があり、時間が立つうちに強い痛みに変わっていった。とりあえず飲んだ鎮痛剤が効果を発揮したのか、打ち合わせのときは少し痛みが引いた。
ところが、その帰り道、再び痛みがぶり返し、上野駅に着いた時には内臓を鷲掴みにされているような疼痛に、立っていることもできなくなった。昼前のローカル線の下りホームには誰もいなくて、ホームのキヨスクの女性に助けを求めた。
その後、車いすに載せられて、駅の救護所に運ばれ、さらに救急搬送されて順天堂病院に運ばれた。駅のホームでうずくまってから病院まで、ただ歯をくいしばって身を絞られるような痛みに耐えるしかなかった。
病院のベッドに載せられる時、看護師さんから、「手に持っているものをかごに入れて、上着も脱いでください」と言われ、はじめて自分が母のお守りを入れた手帳を持ち、カバーに付けたキーホルダーにぶら下がった小さな木のラグビーボールを握りしめていたことに気づいた。
その後、CTを撮り、尿路結石だと判明して、痛み止めの座薬を入れてもらったら痛みは遠のいていった。点滴の落ちるしずくを見ているうちに眠くなり、目が覚めると痛みはうそのようになくなっていた。
そして、傍らを見ると、まるめた上着の上に手帳がちょこんと置かれていた。
手帳を手に取り、カバーについたポケットからお守りを取り出すと、これに守られていたんだなという気がした。そして、キーホルダーにぶら下がった木のラグビーボールを握ると、思わず涙がこぼれた。
このラグビーボールのキーホルダーは、ジュニアラクビー教室に通う息子が、二年前に菅平の合宿にいったときに買ってくれたものだった。
息子は、生後二ヶ月のときに、尿路感染症で生死の境を彷徨った。尿路から腎臓に菌が入り、重い腎盂炎を起こして、40度を超える熱がひかず、何度も激しい痙攣に襲われた。そのとき、ベッドの傍らにいて、手を伸ばすと、小さなもみじの葉のような手でぼくの親指を握りしめてきた。そのときの息子の力は信じられないくらい強かった。痛みに耐え続ける間、彼はぼくの指を握りしめて離さなかった。
彼がくれた木のラグビーボールは、ちょうど赤ん坊だった頃の彼の手の大きさほどだった。
尿管結石の痛みが引いて、木のラグビーボールを握ると、息子が必死で痛みに耐えていた時の光景が蘇る。ちょうど同じ腎臓の痛みに自分が襲われ、生後二ヶ月の赤ん坊が、この痛みを耐えていたこと、しかも、今回のぼくのように数時間どころではなく、何日も何度も襲ってくる痛みに耐えていたことに、今さらながら驚き、さらに、今度は逆に息子に支えられたことに、思わず涙がこぼれたのだった。
みぃーさん、ありがとうございます。
石は、無事に流れたようです(笑)
「絆」というのは、ありがたいものだなと、つくづく感じました。
投稿情報: uchida | 2014/12/03 10:10
思いがけず、大変でしたね。
でも助かってよかった。
ご家族に守られていたんですね。
多分、そうです。
ひどい痛みを引き起こす石が流れてくれますように。
おだいじになさってください。
投稿情報: みぃー | 2014/12/02 14:03