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レイラインハンター内田一成の「聖地学講座」
vol.56
2014年10月16日号
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◆今回の内容
1 火山信仰の起源
御神火
浅間信仰
南九州を壊滅させたスーパーボルケーノ
2 お知らせ
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火山信仰の起源
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この講座の第25回では「火山を崇める聖地」のテーマで、伊豆諸島から伊豆半島にかけて広く分布する三島信仰やハワイ島のキラウエア火山の女神「ペレ」にまつわる不思議な話などを紹介しました。
今回は、先日の御嶽山噴火の後、俄に高まった火山に対する関心を受けて、火山国日本で火山が「聖地」として崇められ理由を火山信仰の起源という面から考えてみたいと思います。
【御神火】
日本では、古くから火山噴火を「御神火」と呼んできました。人智の及ばない神の領域に属する火は、先の御嶽山のような災害ももたらしますが、降り積もった火山灰は、長い年月が経つと養分をたっぷりと含んだ土となり、豊かな農作物を育み、また富士山麓の青木ヶ原樹海のような樹林更新が行われて、多くの動物を養い、さらには溶岩によって川を堰き止めてできた湖には魚が泳ぐようになり、雨水は山体に浸透して、広大な山麓に清水となって溢れ出します。それから、温泉も火山がもたらす恵みの一つですね。
御嶽山という名にもある「御」は、人間の畏怖と崇敬の気持ちを表しています。御山,御灰,御池,といった言葉は、火山崇拝の気持ちがそこに込められているわけです。また噴火口を「御火戸(ミホド)」と呼ぶ地方もありますが、これは、女性器を表す「ホド」に崇敬語の「御」をつけたもので、火山そのものを出産する女性に見立てているのです。
日本神話では、伊弉冉尊(イザナミノミコト)が国生みの最後に、火の神「軻遇突智(カグツチ)」を産んで、このとき「ホド」を火傷して亡くなってしまいますが、これも火山が噴火した後に沈静化した状態を比喩的に伝えているものとも考えられます。火山の生命力の源であるマグマが噴出し終わり、その跡は暗い虚ろな噴火口が残る。伊弉諾尊(イザナギノミコト)は、妻恋しさに、その噴火口から黄泉の国へと降りていったのでしょう。
【浅間信仰】
日本でもっとも有名な火山といえば、もちろん富士山ですね。富士山の史上もっとも大きな噴火は、平安初期の貞観6年(864)から貞観8年(866)にかけて起こった貞観大噴火です。貞観11年(869)には、この噴火と連動するような形で3.11の東日本大震災と震源域を同じくする貞観地震が起こったため、この震源域と富士山噴火の関連性から、富士山の噴火が近いのではないかと警戒されています。
富士山もやはり女神の山です。木之花咲耶姫の化身が富士山であるとされ、富士山麓の浅間大社を中心に全国に点在する浅間神社の主祭神に木之花咲耶姫が祀られています。
日本神話では、天津神である瓊々杵命(ニニギノミコト)の妃となった木之花咲耶姫が一夜で身篭り、瓊々杵命は国津神の子ではないかと疑います。その疑いを晴らすため、「天津神である瓊々杵命の子なら何があっても無事に産めるはず」と、産屋に入り、火を放ちます。そこで生まれたのが火須勢理命(ホスセリノミコト)、火照命(ホデリノミコト=海幸彦)、火遠理命(ホオリノミコト=山幸彦)の三柱の子となっています。火中で子を産むというモチーフは、そのまま火山と結びつきます。また、木之花咲耶姫は水の神の側面も持っていますが、それは、山麓に豊富な雪解け水をもたらす富士山の実像に合致します。ちなみに、第三子である火遠理命の孫が初代天皇の神武天皇であるとされます。
ところで、どうして富士山を祀る神社を浅間神社というのでしょうか。これにはいくつか説があります。「浅間」は荒ぶる神、火の神を意味し、江戸時代に富士山と浅間山は一体の神であるとして祀られたとする説。「浅間」は阿蘇山を意味し、九州起源の火山伝承が九州から渡ってきた民族によってもたらされたとする説。「アサマ」とは、アイヌ語で「火を吹く燃える岩」または「沢の奥」という意味で、富士山周辺が蝦夷の勢力圏だったときから信仰の場所が「アサマ」と呼ばれていたとする説。マレー語由来で、「アサ」は煙を意味し「マ」は母を意味するという説。さらには、坂上田村麻呂が富士山の怒りを治めると同時に、東国征伐の戦勝祈願に浅間大社を創建した際に、伊勢神宮の摂社である朝熊神社を勧請して、その名が「アサマ」になったという説などです。
『日本文徳天皇実録』には、仁寿3年(853)に浅間神は名神に列せられたとあり、『日本三代実録』では、貞観1年(859年)に正三位の位階が与えられたと記されているので、「浅間」の名の起こりは、平安時代以前であったことがわかります。
浅間神社の最初は坂上田村麻呂が創建した富士宮の富士山本宮浅間大社で、その後、貞観大噴火の後に、現在の富士吉田にも浅間大社が築かれ、その後、一気に増えていきます。これは、富士の神の怒りを鎮めるために、朝廷が必死になったことを物語っています。
富士山本宮浅間大社のある静岡県富士宮市にある、千居遺跡(せんごいせき)は縄文中期の集落跡で、ここではストーンサークル(環状列石)と男根を象った石柱が発掘されています。ストーンサークルと男根型の石柱の組み合わせは八ヶ岳山麓の金生遺跡や、東北の岩手山麓の遺跡群にも見られ、火山の間近にあるこれらの遺跡では、単なる太陽信仰の祭りだけではなく、火山の鎮魂と豊穣が同時に祈念されていたとも考えられます。さらに富士山麓では、河口湖の鵜の島や都留市の壁谷遺跡、富士吉田の池の元遺跡など、旧石器時代から縄文時代初期にかけての祭祀遺跡も発見されていて、太古から火山信仰が盛んであったことが確認されています。
【南九州を壊滅させたスーパーボルケーノ】
「阿蘇」が浅間の語源となった説があると書きましたが、九州の阿蘇山のカルデラの中にもいくつかの縄文遺跡が認められています。大観峰遺跡、狩場遺跡などでこれらは広範囲に広がった定住跡です。
南北25km、東西18kmにおよぶ巨大カルデラである阿蘇カルデラは、30万年前から9万年前の間に起こった4回の大噴火によって形成されました。9万年前の大噴火では、富士山の山体全てに匹敵する噴出物を放出し、火砕流が九州の半分を覆いました。この噴火は、縄文時代のはるか以前ですから、これを見届けた人類はいなかったでしょう。その後、カルデラ内部は肥沃な土地となり、縄文時代の豊かな文化を育みました。
今、阿蘇山が大噴火をすれば、九州は壊滅し、巻き上げられた火山灰で地球の気候にも大きな影響を及ぼすでしょう。その可能性は無ではなく、アメリカのイエローストーンなどとともに、噴火によって、地球文明に深刻な影響を与えることが懸念される「スーパーボルケーノ」の一つに数えられています。
じつは、そんなスーパーボルケーノが、九州にはまだあります。その一つが鬼界カルデラです。
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