数日前、北海道大学生がイスラム国の戦闘員になるために出国しようとして、公安に逮捕される事件があった。私戦を禁止する刑法に抵触する容疑で、これが適用されるのはこの法律ができてはじめてだと盛んに報道されている。マスコミの論調はいずれも、彼がとろうとした行動が極めて異常なこととしているが、こんなことで異常にムキになっている司法当局やマスコミのほうにぼくは違和感を持ってしまう。
彼が海外のテロ組織に加わって戦いたいと思って行動を起こしたことは、若者にはありがちな冒険心の発露で、何ら異常なことはない。今までだって、外国の傭兵部隊に入ったりテロ組織に入る日本の若者はいたし、テルアビブ空港乱射事件の岡本公三のような例もある。フランスの傭兵部隊には、けっこうな数の日本人の若者がいて、紛争地帯で活動しているし、下士官や将校になった者もいるという。
古くは、大陸浪人なんて無頼の輩がたくさんいたし、世界放浪しているうちにゲリラになった若者も多い。大友克洋の『気分はもう戦争』でも、中ソ戦争が始まって、中国への義勇軍に参加するために舞鶴港に集まる若者たちや、新疆ウイグル自治区に入って、勝手に対ソ連ゲリラ活動する若者トリオの姿が描かれていたが、それも違和感はなかった。
よその土地の戦争に参加するのはあま関心したことではないことはたしかだが、今の閉塞した社会の中で、情熱をかけるものも見つけられず、外の世界に冒険を求めたいと思うのは、ごくごく自然だろう。
ただ、今回の北大生の場合は、マスコミの登場の仕方に解せないところがあった。
仮に自分が彼の立場だったとしたら、自分の思いは身内にも友人にも隠したまま黙って目的地へと向かっただろう。ゲリラ組織に加わろうとしていることが知り合いに知れれば止められるに決まっているし、司法当局に伝わって拘束される恐れもある。海外のテロ組織に身を投じた人間のほとんどは、自分の真意は隠して出発して当事国に向かった。
ところが、彼の場合は、出かける前にマスコミの取材を受けて、「べつに死ぬことは恐ろしくない」なんて嘯いている。これでは、情報がリークして公安が登場してもおかしくない。ゲリラに参加するというのは、彼の英雄気取りのポーズでしかなくて、それが、アメリカやヨーロッパ諸国がイスラム国制裁へと足並みを揃えようとしているタイミングだったものだから、これ幸いとばかりに大業な罪状をつけて見せしめにされたのではないかと勘ぐってもみたくなる。
そのマスコミに対して語る話も、どこか他人事のようであり、「死ぬことなんて怖くない」という言い方も、強がりで嘯いているのではなく、投げやりで感情がこもっていない。そんな様子から、彼は無謀な冒険心に駆られた若者なのではなく、セルフネグレクトなのだと思った。
「セルフネグレクト」を辞書で引くと、「成人が通常の生活を維持するために必要な行為を行う意欲・能力を喪失し、自己の健康・安全を損なうこと。必要な食事をとらず、医療を拒否し、不衛生な環境で生活を続け、家族や周囲から孤立し、孤独死に至る場合がある。防止するためには、地域社会による見守りなどの取り組みが必要とされる。自己放任」とある。
人は、自分のことに関心が無くなれば、周囲のことにも関心が無くなってしまう。そして、積極的に行動する意欲を失い、あるいは結果を考えずに感情にまかせて行動するようになる。猟奇的な殺人も、子供が死ぬまで虐待する親も、現代ではその根本はセルフネグレクトだ。
セルフネグレクトは社会の病だ。人が、自分の行く末に興味を失い、投げやりになる。それが蔓延すればアノミーになる。「どうせ、地道に都力なんかしたって報われない。政治は持てる者の味方で、弱者は『負け組』として切り捨てられてしまう…」。そう思った瞬間から、人はセルフネグレクトに落ち込み、思考を停止し、自分に対しても他人に対しても興味を失い、社会は殺伐とした荒野にしか見えなくなる。
イスラム国に潜り込もうとした彼も、政治的な共感もなければ、前向きな冒険心もない。ただ、アノミーが蔓延した今の日本社会に辟易して、思考を放棄して、思いついたことをやろうとしただけだった。
彼の問題を政治的な問題や、ステロタイプな青年の性向で片付けてはいけない。彼が、微かな行動の糸口をイスラム国に求めたように、セルフネグレクトに嵌ってしまった人たちも、微かな希望を求めている。それに答えられる糸口を国内に、身近に用意することを真剣に考えなければならないだろう。
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