10月の台風は、父の亡くなった時を思い出させる。
予備校で、父が危篤の知らせを受け、慌てて荷物をまとめて上野駅に向かうと、台風が接近していて軒並み列車は止まっていた。かろうじて常磐線経由青森行の特急が動くというので、それに乗って、父が入院していた水戸へ向かった。
車窓に強い雨が叩きつけ、おぼろに光る街の明かりをぼんやり眺めながら、「俺が着くまで死ぬなよ、親父」と、必死に願っていた。
なんとか病院にたどり着くと、父は昏睡状態にあった。手術も無事に済んで、退院も間近だと聞いていたのに、目の前で微動だにせずに横たわる父の姿が信じられなかった。
ずっと傍らで看病していた母も消耗していたので、代わりに枕元に座って、父のか細い呼吸音を聞きながら、ぼんやり外を見ていた。
病院の窓を風に煽られた立木が激しく叩き、大粒の雨が洗っていたが、何故か、その嵐の音は聞こえなかった。
夜明け近く、父は不意に目を開き、こちらに顔を向けて、「どうして、お前がここにいるんだ? お前は、東京で勉強しているはずだろ、早く帰れ」と、今まで昏睡に陥っていた人間とはとても思えない語気で言った。そして、次の瞬間、ふっと目を閉じると、そのまま息を引き取った。
父の肩を揺さぶっても、反応は返ってこなかった。
医師と看護婦が駆けつけ、蘇生処置をはじめた。病室の外に出されたぼくは、そのときはじめて、荒れ狂う嵐の音を聞いた。
ほどなくして、病室の扉が開くと、医師が死亡宣告をした。
亡骸となった父を乗せた車が故郷の町へ向けて出発するときには、台風は通り過ぎ、真っ青な空が広がっていた。
あのときも、今回と同じ関東直撃コースの台風だった。
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