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レイラインハンター内田一成の「聖地学講座」
vol.53
2014年9月4日号
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◆今回の内容
1 地名について
土地の性質を表す地名
聖地に見られる地名
2 お知らせ
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地名について
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【土地の性質を表す地名】
前回も異常気象による災害の話しからスタートしましたが、残念なことに、また同様の災害が広島県で起こってしまいました。広島市宇佐南区で起こった土石流は、100人余りの人の命を奪いました。中でも、八木地区では山の上部から大きな岩がいくつも崩れ落ち、多くの家屋が押しつぶされる惨状となってしまいました。
後に、地元の地名研究家がこの八木地区の旧地名を調べ、それがテレビで紹介されて話題を呼びました。
かつて、このあたりは「八木蛇落地悪谷」と呼ばれていて、今回のような土石流がしばしば発生していたというのです。蛇が龍と同様に水神を表すことは、以前、この講座でも紹介しました。その水神が落ちてくる土地で、しかも悪谷というのですから、かつては地元の人も近づかないような危険な場所だったのでしょう。
この八木蛇落地悪谷は、時を経るうちに「八木上楽地芦谷」という、本来の土地の性質を物語っていた地名とはまったく逆の字面の地名に変わります。さらに時を経ると、この長い地名は、単に「八木」と呼ばれるようになりました。そして、旧地名を物語るのは、130年の歴史を持つ「浄楽寺」という寺と、そこに伝わる竜退治の話しだけになってしまいました。
浄楽寺に伝わる龍退治の話しとは、今の八木地区の背後に聳える山に邪悪な龍が住んでいて、勇猛果敢なある武将がその龍の首を切り落とし、その首が飛んで落ちたところが八木地区だったというのです。
こうした地名の呼び変えは、しばしば行われてきました。体裁が悪いからとか、縁起が悪いからという人情はわかります。昔なら、大家族の中で子から孫へと土地の物語が伝えられて、古い地名に込められていた土地の記憶が生き続けて、きちんと機能していました。ところが現代では、そうした土地の記憶を伝える年寄りもいなくなり、地名は無意味なものになってしまいます。
この10年余りの間には、行政改革の名のもとに全国で自治体の統廃合が大規模におこなわれました。これによって、馴染みの町や村が無くなり、巨大な行政区画の市に変わりました。
私は、30数年前にオートバイで日本一周して以来、全国各地を旅してきました。そんな旅の記憶は土地の名前とともに刻み込まれているのですが、今、各地を旅すると、私の記憶と今の土地の名前が合致しなくて、戸惑ってしまったり、極端なときは、自分がどこにいるのかわからなくなって道に迷ってしまうこともあります。
この数日は東海地方をツーリングマップの取材で巡っていましたが、浜北市や天竜市、引佐町、三ヶ日町といった馴染み深い市町が、すべて浜松市に統合され、地名表記はどこまで行っても浜松市で、静岡県の半分は浜松市になってしまったのかと思ったくらいです。それは、隣り合う愛知県の豊田市でも同じで、静岡県の浜松市から県境を越えると、いきなり愛知県の豊田市になり、奥三河の足助までも豊田市の一部で、これもまた戸惑わされました。
以前の町や村の名前は地区名としては残っていますが、自治体そのものの名を変更するよりも、先の八木地区のように、地区名は簡単に変えられてしまいますから、これから何十年もすると消滅したり耳障りのいい地名に取って代わられている可能性が高いでしょう。
名峰白馬岳(しろうまだけ)の麓に広がる町は白馬(はくば)と呼ばれますが、この地名は、代掻きの季節になると山肌に現れる馬の形があり、それを目印に農作業が行われ、その馬の形が「代馬(しろうま)」と呼ばれていたのが語源でした。時が経つうちに、「しろうま」という呼び名に「白馬」という漢字が当てられるようになり、そのうち、山は「しろうまだけ」なのに、町の呼び名は「はくば」という、ちぐはぐな状態が定着してしまいました。
槍ヶ岳や穂高岳への登り口に当たる上高地も、昔は「神河内」と書いて「かみかわうち」と発音されていました。梓川源流の風景が、あたかも河の中に神が住んでいるような神々しさに包まれていたからです。それが同じ文字のまま「かみこうち」と発音されるようになり、今度はその発音に合わせて「上高地」の字が当てられました。現在使われている上高地の文字からは、ダイレクトに神々しい風景を思い浮かべることはできません。こうした地名の変化もあります。
春にお水送りが行われる若狭神宮寺から鵜の瀬にかけては「遠敷(おにゅう)」と呼ばれます。この漢字で「おにゅう」とはとても読めません。どうしてこの字が当てられたのかは謎ですが、平安時代に書かれた木簡には「小丹生」と書かれていて、「おにゅう」という音はそのままで、漢字表記が変化したのだとわかります。
北海道ではアイヌ語の地名が多く残り、本州の北部にもときどきアイヌ語由来の地名を目にします。
アイヌ語地名は、土地の特徴を表したものが多いのが特徴です。例えば、「ベツ」や「ぺ」、「ペッ」、「プ」と付く土地は川沿いにあることを表しています。芦別は川底が深い所を意味し、興部は川の合流する場所、音威子府は汚れた河口、サロベツは葦の生い茂る川、標津はサケのいる川といった意味です。
またアイヌ語で「カムイ」は神のことで、神の宿る場所を表します。神居古潭は神のいる場所(古潭=コタンは集落の意味)、神恵内は美しく神秘的な沢という意味です。
北海道ではなく、遠く離れた信州霧ケ峰には高ボッチという地名がありますが、「タカ」は広い、「ボッチ」は高原の意味のアイヌ語で、広大な高原という意味になります。一説には、富士山もアイヌ語の「フチ=火」が語源だとも言われています。もっとも富士山は、この世に二つとない「不二」が語源という説や、以前ご紹介した富士吉田の徐福伝説と結びついて不死の妙薬が富士山の麓にあったのが語源だといった様々な説があります。
いずれにせよ、北海道から東北、関東にかけて意味不明の地名があれば、ほぼアイヌ語由来だと考えられ、その意味は土地の性質を物語っているものと考えられます。
旧来の地名について考察していくと、古(いにしえ)の人たちが、いかに自然に目を向け、注意深く観察し、生活を自然に合わせてプログラムしていたかが見えてきます。
【聖地に見られる地名】
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