【まえがき】
2008年は、「リーマンショック」の年だった。
アメリカで始まったこの金融破綻が、世界に広まり、ヨーロッパも日本も泥沼の不況へと落ち込むきっかけとなった。このとき、中国だけが世界の趨勢に反する大幅な財政支出を行う賭けに出て、一気に世界第二位の経済大国へと踊りだす。
その後の数年は、中国以外の国々では、蟻地獄に落ち込んだような経済が続き、貧富の格差が進んで、社会はますます歪んでいった。個人的にも、ちょうど力を注いでいたプロジェクトが理不尽な形で頓挫し、その後は、身を切る苦しい状況が続いていった。
リーマンショックの後遺症からようやく上向きへと経済が立ち直りかけたとき、311の大震災が起こる。一度、リングに沈んだボクサーがなんとかカウントエイトで立ち上がり、ファイティングポーズを取ったところで、不意打ちのアッパーを食らったようなものだ。
この日記は、いったんリングに沈んでから、なんとかふらつきながらも立ち上がり、311を食らう直前までの社会を背景としている。
2005年から2008年までは、ぼくの主収入はネットショップの売上だった。いち早くGPSの取り扱いをはじめ、オートバイツーリングに用いて、ノウハウを積み上げて、安定した収入を確保していた。しかし、一般に浸透し始めると、競合が次々に現れ、売上が落ち始めた。そこで、またネットショップからメディアの仕事にシフトしていこうとしていたところで、リーマンショックに襲われた。
時代に翻弄されず、普遍的なテーマを追いかけながら、それを仕事にしていくためにはどうすればいいか…そんなことを切実に考え始めたのは、まさにこのときだった。そして、他者と競争するのではなく自分の持ち味を活かして、テーマを掘り下げていくことで、それを商品化して生きていこうと決心した。そのテーマが、今に続く「レイライン」や「聖地」だった。
2001年に「レイラインハンティング」というサイトをスタートさせたときに、すでに、このテーマをライフワークとしていこうと決心していた。そして、他の仕事と並行して、地道にこのテーマを追い続けていた。今度は、本腰を入れて、これを仕事として生きていく覚悟を決めた。それが、まず、2010年の『レイラインハンター』という作品に結実した。これがきっかけとなって、ツアーやトークライブ、カルチャーセンターの講義などの仕事が入るようになった。
この日記の3年間は、ぼくの人生で、もっとも大きな転機になった期間だったともいえる。
聖地研究を生きる糧にすると決めて、人生の再スタートを切ってみると、自分を取り巻く様々な事象が、とても新鮮に見えるようになった。季節の移ろいを身近な自然の中にはっきりと感じ、かつて感銘した本を再び紐解けば、より深く、作者の心の機微を感じられるようになった。
いまだに厳しい状況は続いているけれど、この日記を記した時期の決断は間違っていなかったと思う。
(2014年5月6日記)
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