もう30年近く前になるだろうか。祖母の故郷である群馬を祖母と一緒に旅したことがあった。
利根川にほど近く、北東に赤城山が迫る長閑な田舎に祖母の実家はあり、当時は、祖母の甥夫婦がその家を継いでいた。祖母の甥は、数年前に地元の役場を定年退職して、養蜂家に転じていた。
最近、富岡製糸場が世界遺産に指定されたが、かつては、その富岡製糸場に原料の繭を納める農家が多かったこのあたりは、当時は蚕の養殖は行われていなかったが、昔の名残の蚕室を持った大きな農家が多く、桑畑だった広大な農地が広がっていた。
祖母の甥夫婦は、ずっと手つかずだった昔の桑畑に様々な果樹を植え、蜂の巣箱を置いていた。
その採れたての蜂蜜を一升瓶にもらい、半分も消費できずに夏を越したら、自然発酵して濃いミード(蜂蜜酒)ができていた。酸味と甘さのバランスが絶妙で、口当たりが抜群にいい。しかし、油断すると高いアルコール濃度で泥酔してしまう。そんな、まさにバッカスの贈り物のような美酒が、何も手を加えていない、蜂が集めてきた果樹の蜜だけでできてしまうことに、神秘的な営みでも隠されているのではないかと思った。
中世のヨーロッパでは、新婚夫婦は一ヶ月家に篭もり、ミードを作ったのだという。そして、ミードで精をつけ、翌年には元気な子供が生まれた。それが、「ハネムーン」という言葉の由来とされる。蜂が多産なことも、この由来に掛けられているのだろう。
そんなことがあってから数年後、友人から、ふいに養蜂家を知らないかと、連絡をもらった。そのときはもう祖母も亡くなり、祖母の実家とも音信不通となってしまっていたので、連絡が取れなかったが、その後、ぼくに連絡をくれた彼女は、自分で個性的な養蜂家を見つけ、自身も養蜂の道へと踏み込んでいった。
「みつばちの木箱」(http://www.mitsubachi-kibako.net/)というサイトを運営する上野望さんが、その友人だ。先月、彼女も日本版の制作に関わった「みつばちの大地」というドキュメンタリー作品の試写会の案内をいただき、試写の最終回となった今日、岩波ホールの試写室へ出かけた。
監督のマークス・イムホーフは、自身が養蜂家の家で育ち、蜜蜂に並々ならぬ愛着を持っている。そのイムホーフが、近年、蜜蜂が失踪する現象を受けて危機感を持ち、世界中に取材してまとめあげたのが、この作品だ。
昔ながらの純粋な養蜂を続けるスイスの老人、蜂蜜の大量生産で莫大な利益を上げるアメリカの大養蜂家、さらに文革時に穀物を荒らす雀を徹底的に駆除したことで害虫が蔓延り、今度はその害虫を殺すために農薬を乱用したことで蜜蜂がいなくなってしまった中国が登場する。さらに、人為的な交配によって生まれた凶暴な蜜蜂が実験環境から逃げ出して、南北アメリカ大陸を縦断しながら人を襲い、殺人蜂として恐れられているエピソードや、その殺人蜂を飼いならして蜜を取るしたたかな養蜂家が登場する。終盤には、蜜蜂の研究者であるイムホーフの娘夫婦も登場する。
蜜蜂をコアにして、世界中を巡ることで見えてくるのは文明の功罪だ。世代が移り変わるのが早く、順応性の高い蜜蜂は、その性質故に交配や管理がしやすい。反面、ストレスや病気が蔓延するのもあっという間で、いともたやすく大量死してしまう。
農薬や化学物質の影響で、種が備えた生命力が劣化し、人工的に改造されたグループは抗生物質漬けでなければ生きていけなくなってしまう。また、海外から導入された蜜蜂が新たな病気をもたらすことで、自然種も絶滅の危機にさらされる。それは、まるで人間社会が向かう未来を早回しで見ているようだ。
「みつばちの大地」で紹介されているのはセイヨウミツバチが主だが、日本にはニホンミツバチという固有種がいる。ニホンミツバチは繊細で、飼いならすのは難しいといわれる。それでも最近、あえてニホンミツバチで養蜂を試みようとする養蜂家が増えているのだという。
上野さんは、「みつばちの大地」のプレス資料の中で、ニホンミツバチの養蜂について紹介している。セイヨウミツバチのように、人間が採蜜するのに効率的に飼いならそうという試みがある一方で、かつてニホンミツバチが自然に溢れて蜜をもたらしてくれていた頃のように里山の自然を再生して、彼らが暮らしやすい環境を作り出すことから始めようとする試みもある。
今度は、「みつばちの大地--ニホンミツバチ編」をぜひ観たい。
*「みつばちの大地」(http://www.cine.co.jp/mitsubachi_daichi/)は、5月31日から岩波ホール、6月28日からシネ・リーブル梅田で上映。
コメント