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レイラインハンター内田一成の「聖地学講座」
vol.45
2014年5月1日号
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◆今回の内容
1 出会いやら計画やら
・パーシー族
・上田の土地起こし
2 お知らせ
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出会いやら計画やら
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前回の除福についての記事は、関心が高かったようで、各地に残る徐福伝説の情報を何通もいただきました。
それだけ、徐福一行の影が日本に色濃く残っているということで、 中国で行われているような学際的で組織的な研究を日本でも進めら れることを期待したいですね。
私も、除福については、常に心に留めておいて、他のテーマのフ ィールドワークの際もアンテナを張って、徐福にまつわる物件を見 つけたら、調べてみようと思っています。さらに、徐福自体をテー マにして、時間をかけた調査も行ってみたいと思っています。
また折々触れていきますので、情報やご感想など、お気軽にお寄 せください。
【パーシー族】
前々回配信の「砂漠の文明」の中で、私は砂漠の砂の中に、全て の文明の「母文明」とも言えるような文明が、いまだにひっそりと 埋もれているのではないかと書きました。さらに、前回取り上げた 徐福も、その遠い祖先は、失われた母文明の担い手ではなかっただ ろうかと考えました。
母文明というのは、あくまでも推測でしかありませんが、もしそ れが存在したとしたら、それはゾロアスター教のように火を聖なる ものとして信仰していたのではないかとも想像しています。逆にい えば、ゾロアスター教を信仰する民族のうちに、母文明の担い手た ちの末裔がいたのではないかと。
前回紹介した徐福の南下ルートと思しき、若狭から京都、奈良を 経て熊野へ至るライン上には、火祭が伝わっています。その火祭は、 密教の「ダッタン」の流れを汲むものですが、ダッタンこそは、ゾ ロアスター教の影響を受けていることが明白です。
若狭の「お水送り」と奈良の「お水取り」は、渡来僧である実忠 が整備したものであることがわかっています。実忠は、ずっとイン ド僧だとされていましたが、最近の研究で、ペルシア人であったこ とがはっきりしてきました。 ゾロアスター教はBC7世紀に成立したアケメネス朝ペルシアでは国 教とされていましたので、それ以前から、現在のイランや中央アジ ア一帯に根を張った信仰であったと考えられます。体系化された信 仰としては非常に古いものです。
ゾロアスター教の開祖といわれるザラスシュトラは、BC1750年か らBC1500年の間に生きていた人物であるという説や、BC1400年から BC1200年の間、BC570年頃、あるいはBC6000年より以前の人物である という諸説があります。近年では、BC10世紀からBC11世紀に活躍し ていたという説が有力とされています。 いずれにせよ、ゾロアスター教の起源が非常に古いことは確かで す。
ゾロアスター教の際立った特徴は、いうまでもなく「火」という 人工物を崇めることです。他の宗教は、いずれも自然の事象を神格 化したり、超自然的な存在(神)を想定して、これを崇めています。 それらは、人智を越えた存在であり、人がコントロールできるもの ではありません。だからこそ、畏れ崇められるわけです。
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