その昔、備前長船に刀工を取材したことがあった。
名刀をたくさん生み出したこの地方では、その伝統文化を絶やすまいと、熱心に刀工を育成している。
ところが、若い刀工に話を聞いてみると、刀の材料となる玉鋼の供給がほとんどなく、満足な刀が打てなくて困っているのだという。
「奈良や平安の頃の寺社が改修されたときなどに、玉鋼に近い和鋼が使われている釘や門鋲を譲り受けてきて、これを刀に鍛え直したりするんですけど、やっぱり玉鋼とは違うんですよ」
玉鋼というのは、たたら製鉄という独特の製法で造られる鋼鉄で、鉄としての純度が非常に高く、硬いけれども粘り強くて折れにくいという性質を持っている。
たたら製鉄は、古代から続いてきたもので、粘土で作った炉の中に良質の砂鉄と木炭を交互に入れ、三日三晩、絶えずフイゴで空気を送りながら材料を足し続け、溶けた銑鉄にまでして造られる。この作業は、経験を積んだ村下(むらげ)と呼ばれる職人の指示によって、行われるのだけれど、村下は絶えず溶けた鉄の色や炎の色を監視しながら、加える材料と空気の送り方を変化させ続けなければならない。
このたたら製鉄が盛んだった島根県奥出雲町では、今でも冬の間の僅かな期間に昔ながらの製法で、少量の玉鋼が生産されている。これは、刀剣を鍛えるための原料とされるが、全ての刀工に行き渡るわけではない。ちなみに、宮﨑駿の「もののけ姫」の中で描かれるタタラ場は、奥出雲に取材して構成されたものだという。
たたら製鉄は、2200年前に大挙して日本に渡来した徐福率いる一行がもたらしたとも、古代の日本の政治に大きな影響を与えた渡来民の秦氏が伝えたともいわれ、秘伝の鉱山技術を使って良質な砂鉄のある場所を探し、深山に篭って何日も紅蓮の炎を燃やす様子は、里人から恐れられた。
奥出雲は、日本神話の須佐之男の降臨地とされ、この地に棲んで村の娘を生贄として要求していた「八岐の大蛇」を退治したと言い伝えられている。このエピソードは、山間に点在するタタラ場の炎が、遠く里から見ると頭をいくつも持つ大蛇の真っ赤に輝く目のように見えることからインスピレーションを得たのではないかとも言われている。
妖怪の一本だたら(からかさ小僧)は、何日も続けて鞴を片足で踏み、片側の目で炎を見続ける人足が片足が萎え、片目を失明した姿から連想されたものといわれる。たたら製鉄では目が一つの神である天目一箇神(あめのまひとつのかみ)を祭神として祀るが、これも同根だと考えられる。
たたら製鉄は、ありふれた原料である砂鉄と木炭を使って、貴金属ともいえる玉鋼を生み出すため、錬金術的な妖しい魅力を持っている。三昼夜に渡って焚かれた火が落とされると、炉の中にはケラと呼ばれる塊が残る。ケラは金偏に母で、文字通り「鉄の母」だ。
原料がすべて燃え尽きると、築いた炉は割られ、3トンあまりの重さのケラが取り出される。そのケラは割られて、銑(ずく)と鋼に分けられる。銑は主に包丁などに用いられ、鋼はさらにその精錬度で何段階かに分けられる。鋼も包丁や釘、刀の芯鉄などに使われる。その鋼の中心部、鉄の母の子宮の中に玉鋼が抱かれている。
たたら製鉄は、まさに玉鋼を生み出すお産であり、それも非常な難産で、優秀な村下が産婆役を果たさなければ、玉鋼を生み出すことはできない。
備前長船で刀工の話を聞いたのが20数年前のこと、そのときから玉鋼というものを一度観てみたいと思っていた。さらに、レイラインハンティングを始めて、全国の聖地を巡るうちに、日本の古層文化に渡来民たちの影響が色濃く刻まれていることに気付き、とくに鉱山技術を携えてやってきた渡来民たちとその子孫が、聖地を形作るための原理に関わっていることを知ってからは、たたら製鉄の民の痕跡を訪ねて、その魂ともいえる玉鋼に触れたいと思ってきた。
そんな思いが、たまたま奥出雲町の「たたらと刀剣館」を訪ねたことでかなうことになった。
「たたらと刀剣館」には、毎冬に行われるたたら製鉄でできた鋼や玉鋼が陳列されていて、触れることができる。
初めて目にする、まだ鍛えられていない玉鋼は、銀の鈍色の塊に、ところどころ金やコバルトに輝く結晶がまじり、神秘的な雰囲気を湛えている。それは、科学的に見れば、定められた手順で人間が創りだした純粋な鉄なのだけれど、単なる元素としての「鉄」である以上の「何か」であるとしか思えない。
原料の配合や質、フイゴの風の送り具合、気温や湿度、そして製鉄に関わる村下や職人たちの微妙な意識なども、この玉鋼という物質に影響を与えているのだろう。錬金術では、金を生み出すためにもっとも重要なのは、錬金術師の意識だと伝えられている。そして錬金術の過程で、錬金術師の意識も高次なものへと変容していき、その意識の変容と物質の変容が、ヘルメスが携えるケーリュケイオンの二匹の蛇のように互いに絡まり合って昇華していく。
玉鋼を実際に手に取ってみると、見た目よりもはるかに重く、そして体の芯の体温を吸いだされてしまうように冷たい。やはり、それは、鉄以上の「何か」であると感じる。長年の思いが叶った満足感とともに、玉鋼という物質が、ぼくが想像していた以上の物質だったことに感動した。
見学が済んで、博物館の受付のショーケースを何気なく見ると、そこには、鍛錬していない生まれたままの玉鋼が小さな桐箱に入れて売られていた。また、簡単に鍛錬した小片や、切り出しが並べられていた。いずれも二、三個ずつで、聞けば、日本刀を除けば、純粋な玉鋼は、このケースの中にあるもの以外はどこにもないのだという。はじめは、桐箱に入ったものを選ぼうと思ったが、いつも身につけていられそうなので、キーホルダーのように加工された小片を購入した。
今、小銭入れに入れて持ち歩いているけれど、日本式の錬金術の産物である玉鋼が身近にあることで、深遠な何かといつも繋がっているような気がして、心を落ち着かせてくれる。
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