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レイラインハンター内田一成の「聖地学講座」
vol.43
2014年4月3日号
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◆今回の内容
1 砂漠の文明
・タクラマカン砂漠
・母文明の記憶
・徐福の出自
3 お知らせ
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砂漠の文明
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先週の25,26日の二日間、伊豆高原の大室山を皮切りに下田の白濱神社まで、プレス向けの「伊豆急沿線レイラインツアー」をアテンドしてきました。
昨年の初夏から、伊豆に通って聖地を調べていたことは、ここでも何度か紹介しましたが、その集大成ともいえるツアーやガイドブック等がこれから続々とリリースされていきます。今回のプレスツアーは、そのプレイベントでした。
伊豆急行が海沿いを走る東伊豆は、伊東や河津、白浜海岸、下田といった、ペリー来航以来の観光地が点在し、「伊豆の踊子」の舞台としても有名です。そんな、誰でも知っている観光地で、まだ誰も知らない聖地の秘密を見つけ出し、それを観光資源として活かしていこうというのが今回のプロジェクトです。
昨年は何度も伊豆に通ってフィールドワークを行い、様々な資料に当たり、伊豆独特の自然環境によって織りなされてきた歴史や文化について掘り下げていきました。そして、昔の人間たちが聖地に刻んだメッセージをいくつも発見し、読み解いてきました。その成果は、この講座でも何度か紹介しました。
伊豆にはこの土地にしかない三つの信仰があります。伊豆創世神話を体現した三島信仰、半島の沖合を流れる黒潮によって繋がる紀伊半島方面との関係を物語る来宮(きのみや)信仰、さらに火山信仰に修験道がミックスされた伊豆山信仰です。伊豆の聖地はこの三つの信仰を背景にするものが大多数を占め、さらには、どれか一つだけではなく、複合的に関係している例が多く見られます。この三つの信仰を結びつけているもの、それは渡来民たちの足跡です。
三島信仰の主神である三島神は天竺から渡来したと伝えられています。来宮信仰は、海からやってきた神を祀り、それを崇めた渡来民のルーツを辿れば紀伊半島から畿内、さらに朝鮮半島、中国の深奥部へと繋がっていきます。そして、伊豆山信仰を体系づけたとされる役小角は、彼自身が大陸からの渡来民の末裔であることが知られています。いずれも、そのルーツは中国大陸、それも内陸奥深くにあります。
伊豆の聖地を訪ね始めるとすぐに、背後にある渡来民たちの秘めた思いが感じられ、それが心に響きました。そして、私は、夢見るように、自分がこの30年余りに渡って辿ってきた自分の足跡と、渡来民たちの足跡を重ねあわせていました。伊豆半島から紀伊半島、畿内、若狭、そして大陸へ、さらには大陸の内奥に広がる砂漠へ。渡来民たちと同じように、私は、このルートを砂漠から出発して、伊豆へと辿り着いたのでした。
「土地に呼ばれる」というフレーズをこの講座でも何度か使いましたが、関連性などまったく意識せず、ただ自分の気の赴くままであったり、あるいは土地の人からの誘いに応じて訪ね歩いてきた土地が、渡来民という縦糸で見事に結びついたのでした。これこそ、土地に呼ばれ続けてきた意味だったのだと、私は悟りました。
そして、私の聖地巡礼の起点であり、渡来民たちのルーツであった砂漠へと、私の意識は向かっていきました。
【タクラマカン砂漠】
タクラマカン砂漠の「タクラマカン」とは、ウイグル語の「タッキリ・マカン」、「この場所に入ったら二度と出ることができない」という意味です。また、「トカラ人の住む場所」というアラビア語起源の言葉がチュルク系のウイグル語に訛って、意味が置き換わったという説もあります。
かつて、玄奘や法顕といった求法僧たちがこの砂漠を越えて天竺へと赴きました。その多くは、砂の海に呑み込まれ、骸さえ見つかりませんでした。法顕は、その旅行記に、「空に飛ぶ鳥なし 地に這う獣なし 屍を道標と成す」と記し、玄奘の『大唐西域記』でも、この砂漠を越えるのがいかに困難かが記され、これに着想を得た『西遊記』が生み出されました。
私は、1986年に初めてこのタクラマカン砂漠を擁する新疆ウイグル自治区に入り、さらに、1998年に西域への入り口である西安、2007年に再び新疆ウイグル自治区を訪問しました。最初の訪問では、二ヶ月間、タクラマカン砂漠周辺からパミール、天山山麓を巡り、2007年の訪問では、タクラマカン砂漠を縦断しました。
今ではタイム油田の開発によって、ハイウェイ網が敷かれ、点在するオアシスも近代都市に生まれ変わって、最初の訪問時から一変してしまいましたが、タクラマカン砂漠自体は、玄奘や法顕の時代から変わらぬ、モノトーンの死の世界の様相を保っています。
想像を絶する広がりを持つタクラマカンの砂の海と、初めて向き合った時、私は、何故か深い郷愁を感じました。ちょうど久保田早紀の『異邦人』という曲が一世を風靡している頃で、ウォークマンに入れたこの曲を聴きながら一面の砂の世界を眺めていると、自分がかつてこの砂漠の中のオアシスに暮らし、月夜の晩にはラクダのキャラバンの一員となって砂丘を越えていたイメージが、デジャヴュのように湧き上がってくるのです。そして、懐かしい故国に帰り着いたような、深い安心感に包まれるのです。
四季と潤いに満ちた日本の自然と対極ともいえる砂漠に、どうして自分は圧倒的ともいえる郷愁を感じるのか。それが、とても不思議でした。そもそも、人が暮らす環境としてはもっとも過酷な部類に入る砂漠に、古くから人が住み続けてきたこと自体が不思議です。
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