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レイラインハンター内田一成の「聖地学講座」
vol.38
2014年1月16日号
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◆今週の内容
1 風切地蔵から秦氏へ
・風切地蔵と神道天行居
・ユダヤと秦氏
・徐福伝説と秦氏
2 お知らせ
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風切地蔵から秦氏へ
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先週末は久しぶりに雪の白馬に行ってきました。来月行うスノーシューイベントの下見が目的だったのですが、夜は、根城に借りた友人の山小屋で、北野建設白馬事務所のSさんや環境省長野自然環境事務所のKさんも交え、酒飲み話に花を咲かせました。
Sさんとは、かれこれ10年あまり親しくさせていただいていて、Kさんとは今回が初対面でしたが、二人とも白馬にある「風切地蔵」が取り持つ縁で知り合いました。
白馬村の北部を斜めに横切る形で三体の地蔵が置かれています。一つは白馬岳の東にある小蓮華山の頂上に、もう一つはその麓の落倉集落に、そして三体目は白馬村と長野市鬼無里の境である柄山峠に安置されています。
この三体の地蔵は「風切地蔵」と呼ばれ、昔から地元の人達の間で、北から災害や疫病が侵入してくるのを防いでいると言い伝えられてきました。この三体の地蔵を結ぶと、きれいな直線になりますが、この直線は冬至の日の出と夏至の入り日を結ぶラインに一致します。これは、古代の太陽信仰に基づいているものと考えられますが、同じラインに符合する「結界」と思しきものが、白馬周辺には数多く見られます。戸隠神社奥社の2kmに及ぶ一直線の参道もまさにこのラインを描き出しています。
白馬村内には、冬至の日の出を指す地蔵や祠がたくさんあって、いずれも戸隠に生まれたとされる秋葉山の天狗「三尺坊」を祀っていると伝えられています。そのことから、冬至の日の出-夏至の日の入りを結ぶラインが、秋葉信仰に見られる災難除けを意図したものであることがわかります。さらに、秋葉信仰のルーツが戸隠にあることも示唆しています。
10年前、「風切地蔵」というものが白馬にあるという話を友人の山岳カメラマンから聞き、さっそく現地に入って調べ始めましたが、詳しく知っている人には、なかなか辿り着くことができませんでした。そんなあるとき、WEBに発表していた風切地蔵の話を見つけて連絡をくれたのがSさんでした。
白馬の野平という集落の出身であるSさんは、野平を起点として鬼無里に抜ける古い善光寺街道の復元に取り組んでいて、その街道の中間地点にあたる柄山峠の風切地蔵について良く知っていたのでした。その後、NBS長野放送でレイラインハンティングの特番が組まれることになり、風切地蔵や白馬村内の他の結界の取材に協力していただきました。
この長野放送の番組をきっかけにして、私の白馬との縁も深まって、それから頻繁に白馬を訪ねるようになりました。
そして3年前。Sさんと、こちらも馴染みとなったペンションのオーナーFさんをコアにして、有志が十数名集まったあるプロジェクトがスタートしました。
そのプロジェクトとは、風化が進み、ついには崩落して無くなってしまった小蓮華山頂上の風切地蔵を新たに製作して安置しようというものでした。小蓮華山は国定公園のど真ん中ですから、そこに地蔵を安置したければ、様々な役所の許可が必要になります。そんな許可を取るのは時間がかかりますし、そもそも許可がおりる可能性はほとんどありません。そこで、我々は、極秘に事をすすめ、既成事実を作ってしまう作戦を取ることにしました。風切地蔵は元々そこにあったものを復元するのだし、仏をわざわざ撤去することもないだろうと高をくくっていたのでした。
かくして、本体と台座合わせて70kgあまりの「新風切地蔵」は、いったん稜線上にある山小屋まで食料などの荷揚げに紛れ込ませてヘリで上げられ、さらにそこから歩荷で小蓮華山山頂に運ばれて安置されました。
それからしばらくして、環境省のアクティブレンジャーが新しい地蔵がいつの間にか安置されていることに気づき、長野事務所に報告しました。この報告を受けたのが、Kさんでした。
Kさんは、昔からあったものを復元したものだし、この隠密作戦に関わったのは地元の人達だしということで、本省に許可をもらおうとしてくれました。ところが、それに林野庁のほうから横槍が入りました。今、この風切地蔵は稜線上の山小屋まで降ろされて、寂しく自分が本来あるべき小蓮華山のほうを見上げています。
そんな経緯があって、環境省のKさんは、我々に共感してくれて、いつのまにか遊び仲間にも加わってしまったのでした。
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