前回と前々回のエントリーを読み返してみて、我ながら妙に感傷的になっているなあと感じた。晩秋の今の季節感が感傷を誘うのか、それとも何か自分に固有の感情の周期でもあるのかと思って、過去のブログのエントリーやOBTサイトで綴っていたコラムを読み返してみた。すると、ちょうど10年前の11月11日に『自殺』というタイトルのコラムを書いているのを見つけた。
そこで、ぼくはこんな話を綴っていた。
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従兄弟が死んだ。自殺だった。
ぼくより4歳年下の彼は来年40歳になるはずだった。
子供の頃に一緒に遊んだ記憶はあるが、最後に会ったのはもう30年も前のことで、その後はたまに親戚の話から消息を知るだけだった。
数年前、ぼくの父親の23回忌に叔父と会ったとき、従兄弟がぼくのことをとても懐かしんでくれていると聞かされた。定職にも着かず、勝手気ままな人生を送っているぼくに対して、彼は大学を出ると銀行に就職し、さらに市役所に転職し、結婚して子供を二人授かり、堅実な人生を歩んでいた。「一成さんは逞しく生きてていいなぁ。憧れだよ。ってあいつは常々言ってるんだよ」。ちょうどその頃、ぼくは自分が危うく命を落としかけて『中年の危機』を脱したばかりで、従兄弟がそんなふうにぼくを見ていると知って、複雑な気持ちになった。
あのとき、あるいはその後に何かの機会で従兄弟と直接対面していたら、ぼくは彼に、自分が向かえた危機のことを話せたかもしれない。
ちょうど40歳を迎える頃、ぼくも生きる気力を失っていた。
このコラムでも当時少し触れたが、あらゆることがうまく行かず、人に翻弄され、自分の立場や気持ちを理解してくれる人間もおらず、生きる上での目標も張りあいも失っていた。
ぼくの場合は、天邪鬼だから自殺など考えなかったけれど、生きることへの執着というか欲求が完全になくなっていて、何をするにも「これで死ねれば本望だ」とばかりに、そうとうに無茶をした。そんな中で、自爆ともいえるようなオートバイ事故を起こし、死にかけることでようやく我に返った。
事故の怪我がある程度癒えて、実家に顔を出したとき、「あの事故は、鬱陶しいこの世からすっきりおさらばしたくて自分で引き起こしたことかもしれない」なんて物騒なことをぼくが言うと、テーブル越しに座っていた母が急に真顔になって、「お父さんもね、40歳くらいのときに、しきりに疲れた疲れたと言って、元気がなくてね。この人は自殺するんじゃないかって思ったことがあったよ」と、遠い思い出を語った。
その母の話から、ぼくは幼いときのある光景を思い出した。いつもなら、父はまだ布団の中でまどろんでいるぼくの手をつかんで「行ってくるぞ」と握手して、すぐに足音を響かせて出勤していくのに、握手に続く足音がしない。それが気になって幼いぼくは目がさめてしまった。そして、布団を抜け出して玄関に行くと、そこに大きな背中を丸めて座っている父の姿があった。その背中から立ち上る寂しげな雰囲気に声もかけられずただじっと見ていると、父は、大きくため息をついてようやく腰を持ち上げ、うつむいたまま振り返りもせず出かけていった。
だれでも「中年の危機」といったものはあるだろうが、もしかしたら、ぼくの父方の家系では、かなり深刻なものとしてそれがおとずれるのではないかと、そのとき、母の言葉と自分の思い出の中の父の姿を重ね合わせて思った。
同じ家系の血が流れているだけに、従兄弟と直接会って話をしたら、彼が中年の危機を乗り越える役に立ったのではないか……。
死の状況が状況だけに、従兄弟については断片的な話しか伝わってこない。仕事のことで行き詰まり、家庭も彼に安らぎを与えるというよりは追い詰める場になってしまったらしい。責任感が人一倍強い彼は、自分の窮状を誰にも相談せず、一人で抱え込み、自分を八方塞がりに追い込んでしまった。
それにしても、残された子供が不憫だ。そして、穏やかで家族思いの叔父の顔を思い浮かべると胸が詰まってしまう。叔父は、ノンキャリアから叩き上げで上級公務員になり、模範的な父親として子供たちを立派に育てあげた。現役を引退してからも民間で仕事を続けて家族を守り、最近になってようやくリタイアし、好きな神社仏閣めぐりをしながら、孫の成長を優しく見守りはじめたところだった。
いまさら何を言っても仕方がないが、せめて、従兄弟の魂が現実で味わった苦しさや辛さを忘れて安らかに成仏することを願う。
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去る者日々に疎しというけれど、振り返ってみると、この10年に社会もプライベートも激動の波に翻弄されて、亡くなった従兄弟のことを思い出したこともなかった。
この文章を読み返してみて、あらためて彼が亡くなってしまったことの悲しさがこみあげてきた。前回のエントリーで書いたように、ぼくの生き方なんて誰にも自慢できるものではなかった。そんなはぐれ者のぼくを彼は慕ってくれていた。「世の中にはさ、こんなクソ野郎もいるんだよ。だから、そんなに気に病まないでさ、もう少し気楽に生きろよ」と、彼に声をかけてやりたかったと、あらためて思う。
また、今晩、こんな記事を見つけて、従兄弟を思い出したのは、逆に彼がぼくを勇気づけてくれているのかもしれないとも思う。
今度帰省したら、彼の墓前を訪ねてみよう。
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