今日は定期健診で両国の病院へ。
秋葉原で山手線から総武線に乗り換え、浅草橋を過ぎると隅田川を渡る。今日の隅田川は小春日和の陽射しが川面に踊って、のんびりと穏やかに流れていた。つい三日前は強い北風が吹いて、この川でも波頭が砕けていただろう。
ほんの数日の違いで、こんな身近な自然も、人の命を奪うほど荒々しかったり、慈しみ深い表情を湛えていたりする。
前回のエントリーで触れた二人が漕ぎだしたのは、ここから何筋か東の川だった。
彼らが所属していたリアルディスカバリーのメンバーが当日の二人とのメールのやりとりなどをFBのページで公開した。それを読むと、荒れた海の様子から判断して、海に出るのは危険だし、川筋も危険なので、波の比較的静かな運河の中を往復するだけにすると連絡してきたそうだ。それが何故、彼らは海で見つかったのか。その真相はわからない。
自然が相手だと、ほんの一歩の差で生死が分けられることがある。
昔、秋の八ヶ岳に清里側から入山して、途中で嵐に巻き込まれて撤退したことがあった。そのとき、ほんの30分先に進んでいたパーティは岩場で身動きがとれなくなり、ハイポサーミアで亡くなった。ぼくたちも氷雨に打たれてずぶ濡れになり、麓までなんとか辿り着いたものの寒さで震えが止まらなかった。先行したパーティとぼくたちのパーティの順序が逆だったら、命を落としたのはぼくたちだったろう。
二人が命を落としたのも、その一歩の違いだったのかもしれない。
シリアスな事故に遭うのは、レース本番のようなシリアスな場面より、何でもない日常の練習場面であったりすることも多い。
砂漠をオフロードバイクで走るレースに出ていた頃、レース本番でもクラッシュして肋骨を折ったりもしたが、動けなくなるほどのクラッシュは起こさなかった。だが、実家のある田舎の砂浜で練習しているときは、何度も、動けなくなるような骨折や打撲傷を負った。馴染みのある場所だからと安心して、遊び心を出して無理をした結果だったり、よそ見をして窪みを見落としたりしたのがその原因だった。
それでも、命があれば、自分のミスをインシデントレポートすることができる。亡くなった二人は、自分たちの何が、取り返しのつかないシリアスな事態を招いてしまったのかを報告できないことがいちばん悔しいのではないか……。
穏やかな隅田川の川面を眺めながら、そんなことをぼんやりと考えてしまった。
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