野田という人は、いったい何のために、何がしたくて政治家を志したのだろうか? もちろん真意はわからないけれど、ごくごく一般の家庭で生まれ育って、庶民の生活を送り、我々庶民の境遇をなんとか改善したくて、政治家になろうと、最初は思ったのではないだろうか。
今でも、最初に政治家を志した時のピュアな心が残っていたら、利害対立と駆け引きの泥沼の中で、理想を果たせない自分の人生を思って、大きな悔いがあるだろう。
菅は、市川房枝という市民政治家の元で、理想を共有して政治の道を進み、政治家として独立したはずなのに、まったく理想と異なる政治勢力と野合して民主党などという茶番劇団の一員となって、結局は使い捨てられてしまった。
少なくともなんらかの政治的な理想を持っていたと思える野田と菅の末路を見せつけられると、どこまでこの国の政治が腐っているのかと絶望的になる。
鳩山は名門政治家であり財閥の家系に生まれて、「なんとなく」政治家になったのだろう。庶民感覚など元より持ち合わせていないから、庶民的な「恥」の感覚も持ち合わせず、大風呂敷を広げて、それが何一つ実現できなくても何とも思わない。
安倍には何らかの理想や政治的心情は微塵も感じられない。政治家の父親の背中をただひたすら追いかけて、「政治家という職業」に就くためだけに生きてきた。だから、安倍の唱える「美しい国、日本」というキャッチフレーズは中身が何もない。安倍の頭の中にある「日本」のイメージは、JR東海の「そうだ京都、行こう」のコマーシャルがすべてといったものだろう。そんな貧困なイメージを根拠に、外交や国防を想像されてしまったら、怖ろしい結末が待っているだけだ。
来月、ぼくたちは自分たちの運命を委ねる政治家を選ばなければならない。
今のこの苦しく希望の見えない社会を、どうすれば健康的で住みやすい社会に変えていけるのか、まずそれを自分自身がしっかりイメージしたい。そして、そのイメージに近い理想を掲げた政治家を選びたい。
だが、理想を持った個人に肩入れして、その人間を選んでも、政党というリヴァイアサンの中では、その理想がかき消されてしまう可能性が大きい。
それでも、自分の一票が理想に近づくための一歩になると信じて投票しよう。諦めたら、終わりだから。
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