9月の半ばに、山のキャンプで油断して薄着で寝たため風邪をひき、その後、風邪が治り切らないままアウトドアの取材が続いて、重度の気管支炎になってしまった。
幼い頃に患った気管支喘息の苦しさを思い出させるひどい咳と微熱が10月いっぱい続いて、ようやく落ち着いた。
取材をこなすことと、その後の原稿まとめ、そして月に二回発行しているメールマガジン「聖地学講座」だけで精一杯で、まるきりこのコラムを更新できなかった。
普段が低体温で35℃台なものだから、37.5℃はぼくにとっては高熱で、立ち上がることも辛いほどだった。
いわゆる「病に伏せる」といった状態になったのは、骨折で身動きとれなかったこと以外では、今回が人生で初めてだった。骨折のときは、傷めた部位の痛みはあるけれど、それ以外はいたって元気で、気持ちを切り替えて読書に耽ることができた。でも、今回は目が覚めていても節々が痛く、少し動くと咳が止まらなくなって息ができず、さらには嫌な寝汗をかき続けているような状態で、本を手に取ることすら辛くてできなかった。
気晴らしになるのは、猫の額のような庭先に飛来してくる小鳥の姿を見ることくらいで、病気なだけではなく、自分がひどく老けこんでしまったように感じられた。
そんな日を送っていると、重病と闘いながら気持ちは健気に生きている人たちの凄さがよくわかった。若い時にガンを患い、手術と放射線治療と抗癌剤治療を繰り返し、20年も闘い続けながら、弱音など一切吐かなかった人がいた。最期は、「もう闘うことはやめて、好きなことをして終わりにします」と笑って逝った。彼女の辛さ、苦しさ、そして勇敢ともいえる健気さは、一月臥せった程度では到底理解できないだろう。
ようやく元気を取り戻し、こうしてまた雑文を書き散らす気力も戻ったけれど、これが当たり前だと思わず、健康であることはありがたいことだと自覚して、日々を大切に生きていきたいと思う。
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