お盆の終盤、久しぶりに田舎でのんびりした。
気温が30℃を越えても、風はカラッとしていて、日陰に入れば涼しいし、屋内も冷房を入れずに耐えられる。日が傾くと海風が吹いてきて、急に涼しくなる。夜はもちろん冷房などいらない。
カラッと晴れた空に向日葵が映える風景を眺めていると、炎天下を毎日のように海に通った子供の頃の記憶が蘇ってくる。
高校卒業とともに田舎を後にして30年以上、時々帰省する度に田舎の風景はどんどん変わってしまい、今では子供の頃を偲ばせる風景はほとんど残っていない。
波打ち際まで100mもあった遠浅の海は、すっかり海岸が痩せて漂着ゴミがそのまま打ち捨てられている。3.11の津波と地震の被害もそのままで、堤防は崩れたまま。福島第一からの放射能の恐れから、昔は海岸を埋め尽くしていた海水浴客の姿ははほとんどなく、サーファーがちらほらと見られるだけだ。
町の小さな商店街は、ローカル線が配線となってもともと寂れていたところに3.11によって建物の半分は倒半壊して、ゴーストタウンのように人影が絶えている。
自分の故郷というのは、幼心に様々な光景が焼き付いているから、何が変わってしまったのかがよくわかる。 子供の頃の商店街は、明治から続く石造りの建物や大きな瓦屋根を乗せた木造の家が多かった。それが鉄筋コンクリートのビルやプレハブの建物に置き換わり、長い年月の間に老朽化していった。
かつては、近郷近在から買い物客が集まっていた商店街は、モータリゼーションが進むにつれ、郊外の大規模店舗に客を奪われてシャッターを下ろす店が増えていった。そして3.11では湖の畔のため軟弱な地盤が災いして老朽化した建物を倒半壊させて、文字通りのゴーストタウンとなった。
古くから農産物の中継基地として栄えた街は、昭和中盤の高度経済成長期からめまぐるしく姿を変えて、ついに息が止まろうとしている。その栄枯盛衰をリアルタイムで見てくると、そのまま自分の人生が写しになっているようにも思えてくる。
この数カ月、いろいろ面倒なことが重なり、抜け道もなかなか見いだせなくて、人生に疲れていた。
そんなせいもあって、久しぶりに実家で何もしないで過ごしたくなって、帰省したのだが、こんな精神状態の時は粗ばかりが目についてしまう。 馴染みの街を車で抜けながら、このまま自分も枯れていくのかとふと思った。
でも、東京とは違う、昔の夏を思い出す陽気の中で過ごすうち、だいぶ元気が出てきた。
朝は自然に6時前に目が覚める。雨戸を開け放つと、庭の木々に朝露が落ちいていて、心地良い冷気とともに露の甘い匂いがする。
お盆は過ぎてしまったけれど、仏壇に線香を供え、その香りが仄かに漂う中で本を読む。今回持っていったのは、『シェイクスピアアンドカンパニー書店の優しき日々』という一冊だった。パリの片隅にある伝説的な書店。その書店に集まる現代のデカダンたち。最近流行りの「ノマド」というライフスタイルがあるけれど、形はノマドでも、どこか投げやりで無分別で、でも完全なアナーキストやアウトローになりきれず、モラトリアムに生きている。そんな人間たちが、自分の居場所を確保できる唯一の場所として存在している。
身も心も弛緩しながら、シェイクスピアアンドカンパニーの世界を漂っていると、こんな場所を日本で作ることが今の自分の使命ではないかと思えてくる。
読書に飽きると、涼しい風に吹かれながら昼寝をして、夕方には海へ出かけてみる。
大きな海水浴場は、心ないサーファーたちがゴミを散乱させているので、地元の人間しか知らない小さな砂浜に降りて、冷たい海風に当たる。 そして、浜から戻ると、母親と妹一家と一緒に賑やかな夕食を摂る。気が向けば、庭にテーブルセットを持ちだして、星を眺めながらビールを飲む。
街の姿や人の生活はすっかり昔と変わってしまったけれど、朝露やカラッとした昼の日差し、海風の冷たさ、そして新月の晩に瞬く星の数は昔と変わらず、何故かホッとする。
この世には、様々なリゾートがあるけれど、最高のリゾートはやはり故郷だと思う。
そして、原発事故でその故郷を失ってしまった人たちのことを思うと、切なさとやり場のない怒りがこみ上げてくる。福島の浜通りとぼくの田舎の鹿島灘は海岸続きで、風景も似通い、人の人情もそっくりなのだ…。
そして、福島の浜通りの人たちのことを思えば、意気消沈などしていられないと、新たに前に進んでいく英気を養って戻ってきた。
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