今日は、ほとんど一日中、テレビから流れる311の追悼番組を観て過ごしていた。
人は、何かの悲劇に見舞われたとき、「こんなことが現実に起こったことだとはとても思えない」と、その悲劇を忘れようとするものだが、悲劇が、ある閾値を越えてしまうと、それを現実に起こったことだとは思えなくなると同時に、自分の存在まで含めて悪夢の中の架空の出来事のように感じてしまう。
311は、まさに閾値を越えた悪夢だ。だが、311のような出来事こそ、「悪夢」として忘れようとしてはいけない。
311のような災害は、必ずまたやって来る。
だからこそ、311の記憶を風化させないで、次の世代へはっきり伝えていかなければならない。そうしなければ、ぼくたちの子孫は、はるかに悲惨な不幸に見舞われることになってしまう。
そんな想いで、自己の内の311をあらためてはっきりと心に刻み込むために、テレビから流れる光景を見つめ続けていた。
**2011年3月16日10時の茨城県モニタリングポストデータ**
測定局(グラフ表示) | NaI線量率 nGy/h |
風向 | 風速 m/s |
東海村石神 | 1106 | 南西 | 0.5 |
東海村豊岡 | 742 | 北北東 | 1.7 |
東海村舟石川 | 396 | 北北西 | 1.5 |
東海村押延 | 648 | 北東 | 2.1 |
東海村村松 | 550 | 北東 | 2.2 |
那珂市横堀 | 465 | 東北東 | 1.5 |
那珂市門部 | 815 | 東北東 | 0.5 |
那珂市菅谷 | 389 | 北北東 | 1.5 |
那珂市本米崎 | 点検中 | ---- | ---- |
那珂市額田 | 447 | ---- | ---- |
那珂市鴻巣 | 511 | 西 | 1.3 |
那珂市後台 | 704 | ---- | ---- |
那珂市瓜連 | 232 | ---- | ---- |
ひたちなか市馬渡 | 646 | 北東 | 1.1 |
ひたちなか市常陸那珂 | 762 | 東南東 | 2.4 |
ひたちなか市阿字ヶ浦 | 519 | 北北東 | 3.5 |
ひたちなか市堀口 | 1656 | 北 | 1.1 |
ひたちなか市佐和 | 1114 | ---- | ---- |
ひたちなか市柳沢 | 582 | 北北東 | 2.1 |
日立市久慈 | 1074 | 北北東 | 1.5 |
日立市大沼 | 804 | 東北東 | 2.2 |
常陸太田市磯部 | 593 | 北西 | 1.3 |
常陸太田市真弓 | 475 | ---- | ---- |
常陸太田市久米 | 172 | 西 | 0.7 |
常陸大宮市根本 | 309 | 南 | 1.1 |
大洗町大貫 | 616 | 北東 | 1.7 |
大洗町磯浜 | 495 | ---- | ---- |
鉾田市造谷 | 599 | 北北東 | 2.6 |
鉾田市荒地 | 505 | 北北東 | 2.9 |
鉾田市田崎 | 点検中 | ---- | ---- |
鉾田市樅山 | 896 | ---- | ---- |
鉾田市上富田 | 348 | ---- | ---- |
鉾田市徳宿 | 338 | 北東 | 2.7 |
茨城町広浦 | 742 | 東北東 | 1.5 |
茨城町海老沢 | 440 | 東 | 1.0 |
茨城町谷田部 | 460 | ---- | ---- |
水戸市吉沢 | 426 | 東 | 1.1 |
水戸市大場 | 453 | 北北東 | 1.1 |
水戸市石川 | 576 | 北 | 1.1 |
三菱原燃 | 328 | ---- | ---- |
原燃工 | 点検中 | ---- | ---- |
空間線量率(nGy/h) 風速(m/s)
まだ地震や津波の心配もありますし、原発の脅威もなくなったわけではありませんからね…。
福島から茨城の沿岸部では、再び地震があった際の避難の用意をしておいたほうがいいでしょうね。
「戦時」のような気分ですね…。
投稿情報: uchida | 2012/03/16 23:00
公務員の長男から『転勤で4月からいわき』と連絡がきました。今の勤務地から比べれば、ここからはずっと近いのですが。やはり <放射能><津波>・・・という言葉が浮かび 思わず「大丈夫?」と言ってしまいました。当地も地震の被害もあり、農産物も出荷停止になりましたが 息子の転勤によって、よりいっそう その言葉が近いものになりました。そのせいか 昨夜から 胃痛がひどいです。当の本人は、6年間住み慣れ親しんだ土地から離れる寂しさと 仕事の不安だけらしいです。
投稿情報: ぬかたのおおきみ | 2012/03/16 08:00
昨日、地震直後に電話をかけ続けて、ようやく田舎の母親に通じましたが、直下型の強い揺れで、真っ先に東海村や大洗、鹿嶋の原子力関連施設がやられたことを考えたそうです。
「またあれ(311)がやってきたら、私たちはいったいどこへ逃げればいいんだろうね」と、妹一家と暮らす母はため息をついていました。
「大震災時代」に突入して、単に震災だけでは済まない十字架を背負って、いったいどうすればいいのでしょうね……。
日常を頑張って生きながら、なんとか次世代へ安全な社会を手渡していくために、考え、行動していかなければいけないと、改めて思いました。
同時に、『苦海浄土』が思い浮かびました。
投稿情報: uchida | 2012/03/15 18:50
昨夜(3/14)、テレビから流れてきた緊急地震速報のあの電子音に息が止まりそうになりました。あの日の記憶がよみがえってきて、胸騒ぎがして心臓がドクドク音を立てました。関西に住んでいる私たちも、祈るような思いでおります。
3月11日は私もひっそりすごしました。
投稿情報: マルコ | 2012/03/15 18:34