22年前に祖母が亡くなったとき、その通夜の晩に、ぼくは原因不明の高熱を出して倒れた。
そして、夢を見た。
白装束の祖母を乗せた小さな舟を漕いで、川を渡り、対岸で祖母が降りると、ぼくも続いて降りようとした。すると、祖母は、「おまえは帰らなければいけないんだよ」と言って、上陸しようとするぼくを押し返した。
ひどく寂しい気がしたまま、靄の掛かった川面を振り返り振り返りしながら、また対岸へ渡っていった。昔、ぼくが山に出かけるときや、東京で暮らすようになってたまに帰省し、また東京に戻るときに、祖母はぼくの姿が見えなくなるまで、道に立って、ずっと見送ってくれたが、このときも川の対岸に佇んで、靄が視界を閉ざすまで、小さく手を振っていた。
両親が共稼ぎで、べたべたのおばあちゃん子だったぼくは、小学校に上がるまでは毎晩、祖母の寝床に入って、身長が140cmそこそこの小さな祖母の懐に子猫のように潜り込んで眠っていた。ときどき、祖母が死んでしまったらと想像するだけで悲しくなって、祖母の懐でひっそりと涙を流した。
祖母が亡くなったときは、もう故郷を離れて10年も経ち、30も間近になっていたが、喪失感は大きかった。
祖母の命日は2月1日だが、今年の命日の1週間前、祖母の夢を見た。
今はない懐かしい生家に入っていくと、居間に祖母がいて、優しく笑っていた。その顔を見ると、涙が溢れて止まらなくなった。そして、小さい祖母にしがみついて、「迎えに来てくれたんだね。もう、そっちへ行っていいんだね」と言いながら泣きじゃくっていた。そして、自分の涙声で目が覚めた。
夢を見たその日に、ここに記しておこうかとも思ったが、身近な人に心配をかけるような気がして躊躇した。
でも、ある出来事があって、今日、あえて記しておくことにした。
ときどき、「死」を想うことがある。「メメント・モリ」。
10代の頃、事故や病気で亡くなった友人たち。18歳のときに目の前で逝ってしまった父。20代、30代のときには、自ら命を断った友人が何人かいた。ぼくより5つ下の従兄弟は、「一成さんは自分の思うように、自由に生きてていいな」と叔父に言い残し、奥さんと二人の子どもを残して死んだ。生きているうちに会って、ぼくだって惨めな思いをいくらでもしているんだと話をしたかったと悔やんだ。
40代から50代に入ったこの10年の間には、友人の何人かが病気で亡くなった。
自分の死期を知って、最期の日々をしっかりと生き抜いた人もいるが、それは稀で、ほとんどの人たちは、この世に未練を残していったに違いないと思っていた。厳しい世の中に疲弊して、萎れるように向こうに行った人でも、やはりなにがしかの未練はあっただろうと。そして、この世から去ることが辛かったり、悔しかっただろうと。
祖母の夢を見て以来、何をしていても心の隅で夢の意味を考え続けていた。はじめは、自分の死期が近いことを教えに来てくれたのかとも思った。だから、あまり公言する気になれなかった。
そして、あることで、不意にその意味がわかった気がした。
それは、自分が、いつどんな死にざまをするかわからないけれど、確実なのは、そのときがくれば、大好きだった祖母が迎えにきてくれるだろうということだ。
祖母が迎えにきてくれれば、安らかに向こうへいくことができる。
先日の夢は、今のぼくを迎えにきたわけではなく、死に急がず、安心して生きろと伝えにきてくれたのだろうと。
きっと誰でも向こうへ行くときは、その人がいちばん好きだった人が迎えに来てくれるのだろう。たとえどんな死にざまであったとしても、向こうへ行くその瞬間には、そこに大好きだった人がいて、飛び込んでいけば、直前の悔いや未練などたちまち消えてしまうのだ。だから、残された者は、逝ってしまった者の思いや未練を考えて、自分が思い悩むことはないのだ。
ただ、無心に見送ってあげること。それこそが供養なのだ。
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>kaoさん
コメントありがとうございます。
今の子供たちは、年寄りと一緒に暮らす機会が少ない子が多くて可哀想な気がしますね。
「ご先祖様を偲ぶ」といいますが、子供の時に祖父母と暮らして、長じて、亡くなった祖父母を偲んで墓参りすれば、自分が一人孤独にこの世に生み出されてきたのではなく、遠い昔からの一続きの命の一つで、そうやって命を繋いでくれた先祖に感謝するという気持ちが自然に持てると思います。
お互いに、いつか大好きだったおばあちゃんに、笑顔で対面しましょう!
投稿情報: uchida | 2012/06/14 11:35
私も大好きで大好きでたまらなかった祖母が4月に亡くなり、現在は2人の子持ちで泣いていてはと、日々気丈に過ごしております。月命日に夢をみて元気だった頃の祖母に会えて嬉しくて、夢のなかで号泣していました。
読ませていただいて、同じ思いに救われました。いつか自分の人生の終わりを迎える時がくるまで、精一杯人生を全うしたいです。祖母に堂々と会えるように。
投稿情報: kao | 2012/06/13 14:50
>taruさん
こんな話が、何かのお役にたちましたら、光栄です。
投稿情報: uchida | 2012/02/27 16:54
ありがとうございます。
投稿情報: taru | 2012/02/27 08:43