2011も土壇場という今日、朝からひどい頭痛で寝込んでしまった。
たった今、おかしな夢を見て飛び起きた。
まだ頭痛は収まっていないが、夢の記憶を2011年という忌まわしい年のうちに記して、2012年を、すべてをやり直す年として始めたいと思い、鎮痛剤とカフェインをちゃんぽんしながらこれを書いている。
もう15年あまりまえ、中国国内を縦横無尽に駆け回る旅をした。
そのとき、西安へ行くのに、北京から長距離列車に乗った。コンパートメントで同室となった西安の実業家という男が、金魚を泳がせたバケツを持っていた。
列車が揺れるたびに、バケツの水が床にこぼれ落ち、金魚が暴れた。生臭い匂いがコンパートメントに満ち、男は、「北京の金魚を西安で買うと何倍もするんだよ」と、身振り手振りと筆談を交えて、申しわけなさそうに言い訳した。
さっきの夢は、そのシーンから始まった。
夢の中で、「何故、こんな昔の光景をリアルに思い出しているんだろう?」と、男の言い訳を聞きながら、今現在の意識を持ちながら、ぼくは思っていた。
こんなどうでもいいような光景を、どうして今頃思い出さなければならないのだろうと、退屈に感じて、周囲を見回すと、あの時とは違ってコンパートメントはすし詰め状態だった。
コンパートメントの踊り場を挟んで、左右に二段のベッドが並ぶ。その、一つ一つのベッドに三人ずつ、足を投げ出して虚ろな表情の人間が腰掛けている。
金魚のバケツの男以外は、みな日本人だとすぐにわかる。皆、無言で、感情を失った目で窓外の荒れ果てた黄色い砂の大地を見つめている。
コンパートメントの開け放されたドアの向こう、狭い通路にも膝を抱えて座り込む人達がいる。そして、視線を金魚のバケツの男に戻すと、それはかつて出会った西安の実業家ではなく、初老の日本人の男だった。
今では見慣れてしまった白い簡易型の放射能防護服を着た男が水の入ったバケツを抱え込んでいる。
「むこうに着くまで、この水が、ここのみんなの飲料水だから、大切にしなくちゃ」と男は呟く。
線路の継ぎ目を車輪が踏む単調な音と、チャプチャプと揺れるバケツの水音だけが響き続ける中で、どうすればこの先の希望が持てるのだろうと、呆然として窓の外をみんなと同じように眺める…。
そこで目が覚めた。
2011年の終わりに、東日本の被災者たちはどんな夢を見るのだろう。それが、災害を思い出す悪夢だったり、ぼくが見たような希望のない力を無くす夢だったとしたら、それは現実そのものが悪夢であった2011年という年とともに葬り去り、明日の夜は希望のある初夢をみんなで見たいものだ…。
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