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広大無辺な広がりに向かって
大海を回遊する鯨の歌のように響いていく祈りがある
いっぽう
ミニマルな空間の中で静かに、フラジャイルに、細く引き伸ばされていく祈りがある
対照的な二つの祈りはしかし、同じところへと向かっていく
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はじめて談山神社を訪れたのは30年も前のことになる。大学の友人二人と関西を気の向くままにバックパックを担いで巡り歩いた。
途中、奈良が気に入って、山の辺の道の奈良市側の起点にあったユースホステルに1週間あまり連泊して、周辺を徘徊した。大学生とはいえ、奈良の歴史や仏教についての教養など皆無で、ただただ、山の辺から飛鳥あたりの雰囲気が気に入ってしまって、当てもなくふらふらしていたのだが……今にして思えば、この時に、『古寺巡礼』を著した和辻哲郎の爪の垢ほどでも素養があれば、もっともっと深く奈良という土地を堪能できただろうにと残念に思う。でも、まあ、当時は山登りとオートバイツーリングに明け暮れ、素養など身につける時間などなかったのだから、仕方ないわけだが。
そのとき、ちょうど同じようにこのユースホステルに連泊して、奈良の仏像巡りをしている女の子がいた。彼女は帝塚山女子大の美術史専攻の学生で、仏像に関してとても詳しい人だった。
その子に誘われて、腑抜けな表情の男三人が寺巡りをすることになった。このとき、とても印象に残ったのは新薬師寺で、暗い堂内にぎっしりと立ち並んだ仏像たちが、今にも動き出してきそうで妙に不安な気持ちになった。と同時に、その十二神将たちから立ち上る憤怒は、同じ感情でも様々な位相があることに気づき、長い間飽きずに眺め続けた。
このとき、女の子は一つ一つの仏像について細かくレクチャーしてくれたのだが、それがまったく理解できなかったのが残念だった。手に触れられるようなところに国宝級の仏像があって、それについて専門家からレクチャーを受けられるのだがら、こんなに恵まれたことはなかったのだが。当時は、拝観料など取らず、ちょうど雨模様だったこともあって、ぼくたち以外に拝観者はなく、貸切状態だったのでなおさらだ。
ある日、ユースホステルの連泊仲間全員で山の辺の道を端から端まで歩いてみようということになった。奈良盆地を見下ろす丘陵の麓を南北に伸びる山の辺の道は全長10kmあまりで起伏も少なく、のんびり散策するのにいい。沿道には名だたる神社仏閣や古墳などが連なり、日本の古代史が好きな人にはたまらないコースだ。
奈良に滞在して、貴重な文化財や歴史の舞台を巡りながら、印象に残っているのは、心地いい里山の雰囲気や、外国人も交えたトレッキングの和やかな光景ばかりだが、少なくともあのときに奈良周辺の地理感覚を得ることができたのは収穫だった。
山の辺の道散策の翌日、仏像巡りの女の子が多武峰の談山神社に行くというので、どんなところか知らずに、のこのこついて行くことにした。
一日に数本しかないバスに乗って、だいぶ山奥深くに入り、こんなところに彼女の目指す特別な神社があるのかと疑問に思い出した頃、鮮やかな朱色の山門が目に飛び込んできた。
祈りの風景ダイジェスト版の掲載は終了しました。続きは下記電子書籍版『祈りの風景』にて
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