**常磐自動車道は福島第一原発の至近を通る。他の高速道路が次々復旧する中で、この区間だけは復旧の目処は立っていない**
311から間もなく1ヶ月が経とうとしている。
先週末、ようやく地震被害を受けた茨城の実家に顔を出してきた。道はところどころで陥没し波打ち、古い家は倒壊し、学校の体育館は屋根や外壁が壊れて廃墟のようだった。彼岸に果たせなかった墓参りに行くと、まるで打ち捨てられた遺跡のように石屑が山になっていた。
だが、津波被害を受けた東北の惨状と比べれば、実家周辺の被害は「軽微」といえる程度だ。何より人命がほとんど損なわれなかったのが不幸中の幸いだった。
地元の人達は、被災して3、4日は全てのライフラインが寸断されて孤立し、何の情報もつかめずにいて、度重なる余震におちおち眠ることもできぬまま不安に過ごしていたが、電気が回復して東北の惨状を知ると、自分たちがうろたえている場合ではないと、元気を出して自力で復旧に取り組んでいる。
地震と津波による甚大な被害は、自然の猛威の前に、いかに人間が無力であるかを思い知らされた。東北で過酷な状況に置かれている被災者の悲しみや喪失感は想像がつきようもないが、どんなに残酷であっても、自然災害はそれを受け入れて、あらたにやり直していくしかない。
人類は歴史上、どんな自然災害だろうとそれを乗り越え、必ず復興を果たしてきた。ところが、今回は未曽有の自然災害に続いて原子力災害という人災が起こり、それが全人類を巻き込んで、「見知らぬ明日」へと連れていこうとしている。そこには果たして「復興」があるのだろうか?
前回、このコラムにまともな記事を書いたのは3月15日で、その後は10日間渡って、福島原発から漏出した放射性物質をモニタリングポストのデータで追うことばかりに専念していた。
爆発事故が起きてから空中に撒き散らされた放射能は風に乗って原発周辺だけでなく、飯舘村や福島市、郡山市、北茨城市、高萩市などを高濃度に汚染して、ぼくの故郷の町にも降り注ぎ、東京から神奈川にまで達した。その後は放水によって空宙飛散が抑えられたためか空中汚染は徐々に下がりつつあるが、そのかわり、今度は原子炉に直接暴露した信じがたい高濃度の汚染水が大量に海洋に撒き散らされている。
福島原発が立地する福島県の浜通りは、ぼくの故郷である茨城県の沿岸からずっと海岸続きで景色も文化も似通っている。訛りもほとんど同じで、昔からとても親近感が強い。
砂丘と松林が続く痩せた土地では、かつては水っぽいさつまいもや落花生くらいしか採れなくて、貧しく教育の低い辺境ともいえるような寒村が点在しているだけだった。そんな貧しい土地に押しつけられたのが、東海村の原子力発電所や関連の原子力施設、そして福島の原発銀座だった。
太平洋に面したこの地域は、沿岸で親潮と黒潮がぶつかり合う豊かな漁場を抱え、新鮮で美味しい魚介が豊富にあることが唯一の自慢の地域でもある。北茨城市の平潟港は昔からあんこうの水揚げ港として全国に知られている。
貧しさと無知につけこまれ、人口密集地には置けない原発という危険物を押し付けられ、JCO事故などに代表されるような甚大な事故や大小の放射能漏れで犠牲者が生み出されても黙殺されてきた。そして、ついには「棄民」され、自慢の漁場も奪い取られつつある。
農業のほうは地道な土地改良を続けた結果、様々な野菜が採れるようになり、首都圏の食料庫にまでなったが、それも奪われつつある。
神道では、人間を罪深いものと認めた上で、人が業としてためこんでしまった穢れを祈ることで解消できるとする。
人が穢れを流せば、それは風が吹き払い、地に落ちて雨がそれを川に運び、海に流しだして、広大な海原に拡散させて消滅してしまう。自然の中に居て空や風や川や海を統べるそれぞれの神々が引き受け、より広い世界を統べる神々へと受渡していくことで、無になるまで希釈してくれる。それを「祓い給へ、清め給へ」で始まる『大祓い』の祝詞として、神々の名を称えて祈ることで実現させる。
人が自然と穏やかに共生していた時代は、祝詞がイメージするように、ちっぽけな人間の穢れなどというものは、大自然に向かって放出してしまえば雲散霧消するものだった。けれど、人が「便利」を追求して、自然から様々なものを収奪して贅沢になっていくうちに、人は自然を矮小化して、ついにはマザーネイチャーを殺してしまえるまでに愚かな力を貯めこんでしまった。
スリーマイルやチェルノブイリ以降、幾多の人々が警鐘を鳴らし続けてきて、国内でもJCOやもんじゅの致命的な事故に、今回の福島第一原発の事故がはっきり予見できていたというのに、それを防げなかったのは、電力当事者だけでなく、原子力を容認していた人間も、それを否定しながらも結局食い止められなかった人間も、全ての人が後世に対して取り返しのつかない犯罪を犯してしまったといえるだろう。
このまま事態が悪化していけば、ぼくたちの子や孫やさらにその子孫から完全に希望を奪ってしまう。
今回、実家に戻っていろいろ話を聞くと、東海原発では昨年の夏に防波堤の嵩上げ工事をして、そのおかげで今福島第一原発が見舞われているような全電源喪失という事態を避けることができたのだという。
東海村ではJCO事故を経験して、行政も住民も原子力に対する監視をしっかりするようになった。その効果の一つが堤防工事につながったともいえる。また、ぼくがずっと福島第一原発由来の放射性降下物の量をモニタできたのは、茨城県の環境放射線監視センターが東海村を中心に広範囲にモニタリングポストを設置して、そのデータを細かく更新してインターネットで公開しているおかげだった。
人は失敗を経験しない限り学べない愚かな生き物なのかもしれない。
それでも、なんとか後世に健全な自然を受渡していくために、この危機を乗り越えてほしいと祈らずにはいられない。
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