ブルース・チャトウィン『ソングライン』の後に宮内勝典『僕は始祖鳥になりたい』を読み返した。
前者はオーストラリアのアウトバックが舞台で、後者はアメリカ中西部の砂漠で物語の主要な部分が展開する。アメリカ中西部の砂漠で特に印象深いのは、一年のうちである一瞬だけルピナスのような花が大地を埋めつくす「ペインテッドデザート」の描写だ。
初めて『僕は…』を読んで、ペインテッドデザートとはどんな光景なのだろうと想像していたとき、いいちこのポスターで見渡す限りにルピナスが咲き乱れる何処かの風景が映し出されていた。それは南米の何処かの高原の景色だったが、ペインテッドデザートは、まさにこんな風景だろうと、駅のコンコースなどでこのポスターを見つけると、その前で飽きずにずっと眺めていた。
砂漠という場所は、なぜかとても郷愁を感じる場所だ。
昔、バハカリフォルニア半島を縦断するオフロードレースに出場したとき、ナイトランの途中で、オートバイを止め、エンジンが冷えていくチンチンという音を聴きながら、凄まじい星空とその星空を背景にシルエットを浮かびあげるサボテンと灌木の織り成す風景にしばし見とれていた。レーサー仲間が、一番怖い瞬間としてあげたのは、砂漠の真っ只中でナイトランの最中にエンジンがストールすることだと話していたが、彼らはあの光景を見たことがないのだなと思うと、少しあわれに思った。
アリゾナの砂漠では、砂丘の天辺でビバークし、そのまま朝を迎えた。寝袋から這い出して、冷たい砂の上にあぐらをかいて、東に向かっていると、地平線が白みはじめ、そちらのほうから来光の露払いをするような風が吹いてきて、直後に、地平線を引き裂くように太陽の光がさしてきた。
タクラマカン砂漠を横断する途中、巨大な砂丘でぼんやりと果てしなく続く砂の海を眺めていると、傍らでカサコソと動くものの気配がある。そこには、砂に埋れていたのが這い出してきたのか、錆びて曇ったアルミのような皮膚をまとったトカゲがこちらを見上げていた。そいつはぼくに向かって話しかけるように、こちらを見つめたまま、ピンク色の舌と口腔を見せて口をパクパクさせている。
そんなトカゲの仕草を真似て口をパクパクしてみると、乾燥しきったはずの空気にかすかに潤いが含まれているように感じられた。しばらく砂丘の上で無言のコーラスを歌うように二人で口をパクパクさせていると、深いところで意識が通じ合った気がした。
砂漠はシンプルなのがいい。
寒と暑、明と暗、そして生と死。中間がなくて、極端と極端のどちらかという潔さ。曖昧で中間的なものや、どうでもいい情報が溢れかえる世の中であがいているうちに、心がバランスをとろうと、砂漠への憧憬を呼び覚まそうとするのかもしれない。
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