**先日紹介した"アーバンアウトドアライフ"をスキャンして、ビューアで読めるようにした。日焼けして古文書のようになってしまった紙面が、逆にいい味を出して、越にいっている。自分独自のライブラリーが作れ、それを手軽に持ち歩けるのは、まさに革命だ**
日常的にiPadを使うようになって、一つ変わったことがる。それはソーシャルメディアで無駄に時間をつぶすことが少なくなったことだ。
mixiは、もうずいぶん前からほとんどアクセスしなくなったが、最近はTwitterをチャットのように使い、四六時中アクセスしていた。
仕事をしていても、Twitterのクライアントをバックグラウンドで立ち上げておいて、手が休まるとTwitterを覗いて、長く連なったタイムラインを読み返し、気になるツィートにはコメントをつけたり、リツィートし、それらに返事が返ってくればさらに反応して…気がつけばだいぶ時間が経っている。 どうでもいい日常生活的なツィートは自分でもしないし、そういうツィートばかりのフォロワーは外してしまうので、無意味なツィートはほとんど流れてこない。
フォローしているのは、仕事や趣味に関わる話題を多くツィートする人や、ライフスタイルに共感が持てる人なので、Twitterも情報収集や情報交換に有用だと思っていた。だが、あまり使わなくなってみると、そうした情報も必要になったときにネットで検索すれば辿り着けることにあらためて気づかされる。
IPadは今のところマルチタスクに対応していないので、アプリケーションを並列的に立ち上げて、気軽に切り替えることができない。だから、今行っている作業をわざわざ中断して、他の作業をしようと思うと、それなりに労力に見合うかどうか考えることになる。無意識のうちに時間的コストを計算しているわけで、シングルタスクは不便ではないかという懸念は、良い意味で裏切られた。
マルチタスクで自在にアプリケーションを行き来できるPCだと、つい気を抜いた瞬間に、Twitterクライアントのタブを押してしまって、気がつけば数十分なんてことになる。
PCはひたすら作業の効率を高めるため、様々な作業をパラレルにこなすために発展してきた。クリエイティブワークや誰かに情報を発信することを主眼としたパブリックなツールといえる。
iPadのような新たに登場したパーソナル端末は、クリエイティブ機能、情報のアップロード機能をあえて切り捨てて、ビューアやリーダーとしてサクサク動いて小気味いいツールを実現した。PCは多機能である分、デバイスは重く、立ち上げや終了動作が遅い。いったん立ち上げてしまうと、再起動が遅いため、一日中立ち上げっぱなしにして、その結果、仕事の合間に余計な時間つぶしをしてしまう。パーソナル端末では、立ち上がりも終了も瞬時なので、必要な作業が済んだらさっさと電源を落として、他のことに移っていける。
先に、シングルタスクのおかげで気が散らなくなったとも書いたが、この割り切った機能と手軽さは、次のOSでマルチタスクを実現しても、PCのようにダラダラとソーシャルメディアに現を抜かすことには繋がらないと思う。
最近、iPadでの読書も増えたが(少し前のエントリーで紹介した『アーバンアウトドアライフ』など、気に入りの書籍もどんどんPDFやリーダーで読めるZIPで保存して悦にいっている)、それ以上に、紙の書籍(変な言い方だけれど)を読んだり、思索する時間が増えた。
ソーシャルネットやソーシャルメディアに繋がる時間が減ってみると、それらによって、知らず知らずのうちに、人と四六時中繋がっていることを強いられ、常に誰かと繋がっていないといられない脅迫観念を植え付けられていたことに気づいた。
ふと立ち寄ったカフェや、夜の通勤電車では、一人黙々と携帯電話でソーシャルメディアに繋がっている人ばかりなのに気づく。一人でいるときに本を読んだり思索にふけるのではなく、孤独を紛らすために、ソーシャルメディアに繋がって、何の価値もない情報に埋もれて、あるいは、暇つぶしのくだらないゲームに没頭して時間を浪費している。
繋がり過ぎの社会は、じつはますます人間をリアルな関係性から疎外している。情報過多の社会は、人を溢れる情報に溺れさせるだけで、情報を吟味し、それを実生活で応用したり、自己実現に結びつけることから遠ざけている。
iPadが切り開いた、本格的なパーソナル端末は、ぜひとも一人の時間を充実させ、心が豊かになるような方向で発展していってほしい。
コメント