昨日は、東京スカイツリーが立地する場所が鹿島神宮-富士山ラインというレイライン上にあることを紹介したが、少し掘り下げると、また面白いことが見えてくる。
東京スカイツリーは、2003年に東京都心の高層ビル密集による東京タワーの電波障害を解消するために発足した「在京6社新タワー推進プロジェクト」の構想が元となっている。このプロジェクトが建設用地を探す中で、名乗りを上げたのが東武鉄道だった。
東武伊勢崎線の業平橋駅と押上駅の間にあった約3.7ヘクタールの貨物ヤード跡地を新タワー用地として提供。東武鉄道が全額出資する東武タワースカイツリー株式会社が東京スカイツリーの事業主体となる。
前回は、日光の鉱山開発にも関係していた利光鶴松が創業した小田急が、鹿島神宮-富士山ラインを意識していたことを紹介したが、そのライン上に乗る東京スカイツリーは、同じ鉄道会社の東武鉄道の手になるというのが面白い。
徳川幕府を開いた徳川家康は、東照大権現として日光東照宮に祀られ、古くから山岳修験の聖地であったニ荒山(ふたらさん=これを「にっこう」と読み替えて「日光」の字を当てた)を背後に背負った日光東照宮からは、江戸城までニ荒山に発する「気」が送られるという構図が作られた。
日光東照宮の社殿は方位角173°15′30″の方向を向いている。その方角の目の前には東照宮の守護寺である輪王寺が位置し、そのままラインを延長していくと、旧古河庭園、柳沢吉保が元禄初期に徳川綱吉に下賜されて江戸下屋敷を築いた六義園、水戸藩邸があった小石川後楽園がぴったり並ぶ。そして、江戸城天守閣に突き当たる。
旧古河庭園は明治に入ってから古河財閥の所有地になり、近代庭園として整えられたが、江戸時代には徳川将軍家御用達の鷹狩場だった。
風水では、山から発した気が龍脈という道を通って流れるとされる。龍脈の途中には龍穴と呼ばれる気が噴出する場所があって、そこは池や沼であることが多いとされている。また池や沼は流れ下ってきた気をそこでいったん溜めるコンデンサのような役割を負っているともされている。
そんな風水思想から敷衍してみると、天海僧正が仕掛けたと言われる日光東照宮から江戸城へと気を運ぶこのラインがかなりリアリティを帯びてくる。
ところで、東武鉄道はまさに東京と日光を結ぶ鉄道を敷くべく開設された。1897年に会社設立。1929年に東武日光線を全通させる。これにより、天海の構想した日光-江戸レイラインが鉄道路線という目に見える形となった。
利光鶴松が小田急を創業したのが1923年で、1927年には鹿島神宮-富士山ラインに沿った小田原線が全通しているから、あたかも昭和初期に鉄道を土俵にした風水合戦が東京で繰り広げられていたかのようだ。
そんな歴史を見てくると、東京スカイツリーが鹿島神宮-富士山ラインと日光-江戸ラインが交差する場所に建設されることが偶然ではなく思えてくる。
2009年8月19日付の産経ニュースに面白い記事が載っている。「風水で運気を上げる車内弁当 東武鉄道 栃木」と題されたその記事には、「東武日光線開通80周年を記念し、映画「おくりびと」の脚本などで有名な放送作家の小山薫堂(くんどう)氏がプロデュース。江戸時代、風水に凝っていた徳川家康が「運気のいい場所」と考えていたとされる日光にちなみ、人気風水師の李家幽竹(りのいえ・ゆうちく)氏が食材を選んだ」とある(原文リンクはこちら)。
古い街道は、都市の中心からランドマークであり山岳信仰の聖地であった山に向かって伸ばされるケースが多い。鉄道もそれに沿わせるケースが多いから、東京にとってのランドマークである富士山に向かって鉄道が伸びていたり、日光という聖地に向かって伸びる日光街道に鉄道が沿っているのも当たり前といえば当たり前かもしれない。
でも、富士山に沈む冬至の日を仰ぐように、あるいは神となった徳川家康が江戸を守護する力が運ばれる目に見えない「道」があることをイメージして、鉄道や建築物を設置すれば、それは同じように感じる人のイメージを喚起して、何か実際的な力を発揮するようにも思える。
東京スカイツリーという大建築のバックボーンに、そうしたロマンが潜んでいると思えるだけでも、かなり面白いと思うのだが。
コメント