阪神淡路大震災から15年が経った。
あの日、目覚めてテレビをつけると、あちこちで火の手が上がり黒煙が立ち昇る街の光景が映し出されていた。それは、 戦果にまみれるサラエボかパレスチナあたりの光景に見えた。それが神戸だと知って、驚愕した。
上空からのどことなく現実感の薄い光景から、地上に場面が映ると、いきなり現実感が押し寄せてきた。
惨状が詳細にわかるにつれ、現場に飛んで行って何か役に立ちたい、必ずやってくるはずの関東の震災のとき、 生かせる経験を得るためにも、被災の現場に行きたいと切実に思った。
だが、あの時の自分には、生活を投げうって現場に飛び込んで行くだけの経済的な余裕も心の余裕もなかった。それがとても悔しかった。
田中康夫氏は、スクーターに積めるかぎりの救援物資を詰め込んで現場に入った。当時、 ぼくはオートバイ関係のメディアの仕事をしていたが、同じ仕事をしている仲間や業界関係の有志は、自分のオートバイで現場に駆けつけ、 オートバイの機動性を活かして、救援活動に当たった。その仲間に加われなかったことが恥ずかしかった。
その時思った。日々の生活に汲々としている場合ではない。こんなことがあったときに、即座に日常生活を中断して現場に駆けつけて、 自分の出来る限りの力を使って救援活動ができるだけの余裕を持っていなくてはと。
……しかし、今、同じことが起こったら、果たしてそうできるだろうか。
15年前のあの震災を思い出し、改めて思う。 個人としての社会貢献を常にできるような余裕を持ったライフスタイルを築いておかなければと。
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