時々通り過ぎる公園の銀杏がだいぶ葉を落としていた。
先週は、ここを通ると自転車のタイヤが銀杏の実を踏んで、爆ぜたその実から秋らしい香りが立ち上ってきた。近所のお年寄りたちは、 ビニールのコンビニ袋一杯に実を拾って、嬉しそうにそれを持ち帰っていた。
ぼくが通っていた茨城の高校は、校門から校舎までの間に100メートルあまりの銀杏並木があって、 晩秋にはフカフカの黄金の絨毯が出来上がった。
10年ほど前、原宿に事務所があったときは、仕事に疲れると神宮外苑の銀杏並木の下をよく散策した。
銀杏は秋から冬への季節の移行を伝えてくれる。
弱い晩秋の日差しを反射しながら、黄金の雨のように舞い落ちる銀杏の葉を見ていると、こうして自然は普遍的な営みを繰り返しながら、 いつも豊穣であるのに、人間はどうして齷齪と何かに追われるように生きなければならないのだろうと哀しくなってくる。
今晩は、キャノンボール・アダレイでも聴きながら、普遍的な生き方を考えてみよう。
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