春分と秋分は、彼岸の中日でもある。先祖の墓を参り、先祖の霊が迷うことなく西方浄土(彼岸)へと行き着き、 そこで平穏に過ごすことを祈る。
昼と夜とが同じ長さになるこの日、太陽は真東から昇って真西に沈む。この日の太陽に先祖の供養を拝むことで、 西方浄土へと魂を導いてもらう。同時に、此岸にある自分たちも彼岸の方向を見定め、太陽の動きを追うことで、後々、 自分たちの魂が迷わず彼岸へとわたれることを祈念する。
レイラインハンティングでは、 日本列島を中部で東西に横断する「御来光の道」を紹介したが、太平洋に面した房総半島の上総一ノ宮玉前神社から寒川神社、富士山、七面山、 琵琶湖竹生島、大山、そして出雲大社を結ぶ700kmにも及ぶ春分と秋分の太陽の運行線に当たる。
松本から伊那、飯田を経て、奥三河の花祭りの里を巡る旅を経て、秋分の太陽を拝むべく、御来光の道の上に位置する富士山へと回った。
雲海の彼方、たなびく雲の間から姿を見せた太陽は、真東の空にあり、振り向けば富士山頂へと自分の影が伸びていく。 この遙か先には出雲大社があり、そして西方浄土がある。
ある年の春分の日は玉前神社で日の出を迎えた。そこでは、東を向いた参道の向こうから太陽が昇り、 一の鳥居の影が二の鳥居の下を潜って、西方浄土のありかを示していた。
ある年の秋分の日には、出雲大社で夜明けを迎えた。そこでは、東に聳えるご神体山から太陽が昇り、西門へとその影を伸ばしていった。
春分や秋分の日の出の瞬間に立ち会い、昔の人たちが御来光の道の上に位置する聖地に施した仕掛けに向き合うと、 古の人たちのイメージの豊饒さに感動するとともに、それを羨ましく感じてしまう。
彼岸=西方浄土を直截なイメージで表すのではなく、劇的な演出でただ方向を示すことで、 個々の人たちそれぞれの西方浄土イメージを喚起する。西方浄土は、絵に描いたような固定されたビジョンなのではなく、 個々の人たちそれぞれのイメージに委ねられる。
仮に、西方浄土への道を辿って行ったとすれば、最初の聖地は次の聖地を指し示し、二番目の聖地は三番目の聖地を指し示す…… といった具合に、正確に配置された聖地を辿らせ、最後には出雲大社が海の彼方を指し示す。
ひたすら具体的な答えを求めて旅をしていった者に、最終的に提示されるのは何もない海の向こうに沈んでいく夕陽だけである。だが、 ここまで旅を続けてきた人間には、何もない海に沈む太陽から自分独自の西方浄土をイメージするだけの心性が身についているだろう。
こうした聖地の仕掛けは日本だけに見られるものではなく、例えば、エジプトのアブシンベル神殿でも、 春分と秋分の日の朝日だけが真っ直ぐに神殿の奧まで進み、そこに安置された神像を浮かび上げる形になっている。
様々な情報や刺激が溢れる現代では、直截なビジュアルやメッセージに絶えず晒されて、 自らがイメージを生み出していく想像力(創造力)が減退してしまっている。自らの西方浄土をイメージできない現代人の魂は、 いったいどこへ向かうのだろう。
**振り向けば、富士山頂が西方浄土の方向を指し示している**
**方位角90°……つまり真東、142km先には、上総一ノ宮玉前神社がある。 今ここに見える太陽の光は玉前神社の一の鳥居と二の鳥居を真っ直ぐくぐり抜けてきた光だ**
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