ビニールの手提げ袋に海水パンツとおにぎり、麦茶を入れた水筒を詰め込んで、毎日のように海に通った。
幼なじみの同級生、デメちゃんとジロチョーそしてぼく(ウッタ君)……いつも同じ3人だった。
一夏のうちに三度も四度も皮膚が剥けて、黒いというより赤銅色に日焼けして、バスに乗り合わせた大人は「どこの国の子だ!?」と、 目を丸くした。
朝露が降りた野原で、眠い目をこすりながらラジオ体操をして、首から提げた札にハンコをもらうと、一目散に家に戻って、 朝食をかっこんで出かける。
唇が葡萄色になって震えが止まらなくなるまで海に浸かり、海獣のように熱い砂にまみれて体温を取り戻す。
荒海に揉まれすぎて疲れると、今度は岸辺にある海の家岩田屋プールでぎこちなく泳ぐ。 岩田屋では一日チケットの代わりに手の甲にマジックでその日の記号を書いてくれ、海で遊んで薄くなるとまたその上をなぞってくれた。
夕方、海から戻ると、デメちゃんの家の縁側に並んで座ってスイカを食べ、各自の家で夕飯を食べて、再びデメちゃんの家に集まり、 盛大に花火で遊んだ。
すぐ近所だけれど、街頭もなく、懐中電灯の灯りだけを頼りに生け垣に挟まれた寂しい道を辿って帰るのだが、 ジロチョーと別れて一人になると、お化けが怖くて一目散に自宅に駆け込んだ。
お盆が過ぎると三角波が立ち、クラゲも出てきて、海は仕舞いとなる。
今度は、一日、デメちゃんの家の縁側に3人で寝ころび、同じような絵日記をまとめ書きする。
毎年毎年、同じような夏の繰り返しだったが、変わり映えのしないそんな夏がやってくるのが、いつも待ち遠しかった。
故郷の海に行かなくなってから、もう何年経つだろう……。今はもう、転げ回った遠浅の海岸はなく、 マジックで書く記号がチケットのあのプールもない。……そもそも、もう、あの頃のような夏らしい夏はなくなってしまった。
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