若い頃は、大自然にばかり目がいっていた。
山登りを始めると、3000mクラスの北アルプスの山々が目標になり、オフロードバイクにのめり込むと、 広大な砂漠を走るレースに目が向いた。そして、辺境を旅するようになると、世界の屋根「パミール」が目標になった。そして、いずれも、 足跡を記すことになった。
もう遙かな昔、タクラマカン砂漠を突っ切り、パミールの極限の峠までたどり着き、 雄大なユーラシア大陸の大地と向き合う何ヶ月かを過ごして日本に戻ってきたとき、木々の青さとその青さの中に湛えられた潤いに、 大陸で乾ききった体が、「あぁ、故郷へ戻ってきた」と歓喜した。
その時からだ、身近な自然に目が行くようになったのは。
そして、あれから長い年月が経ち、ぼくは、ドアを開けた目の前にある「小自然」に歓喜するようになった。
生け垣の芽吹き、木々の肌の変化、そして空気の匂い……そうした身近なものが、微かな、しかし確実な季節の変化を物語っている。
ふとしたはずみに、ついこの間冬枯れして坊主になった生け垣に小さな芽生えを発見したとき、暦を開いて七十二侯を調べると 「うぐいす鳴く」とあった。まさに、春告げ鳥が鳴く頃と暦に記されたその時に、生け垣の芽は膨らんでいた。
大自然は、「記号」としてわかりやすい。だけれど小自然は、とても繊細でフラジャイルなものだから、 自分の感覚をセンシティヴに磨いておかなければ、それを意識することができない。
身近な小自然の移ろいに気がつくと、突然身の回りの世界が途方もない深さを湛えていることが理解できる。
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