いつも昼食の弁当を自転車を漕いで買いに行く道すがら目につく梅の木がある。 今日はその木が全身で嗤っているかのように真っ白な花を咲かせていた。
よく見ると、一つの枝に完全に開ききった花から、開きかけのもの、まだつぼみのものと、 三世代同居家族のようにくっついているのがほほえましい。
昨日はまったく気づかなかったが、今日の気温の温みで一気に花を開かせたのか、 あるいは昨日は底冷えする寒さに首をすくめて自転車を漕いでいたため目に入らなかったのだろうか。
桜は、春まっただ中に咲いて、葉桜になると初夏の香りが濃くなってくる。もう心も軽くみんなが外に出ている頃の花なので、 浮かれ気分で向かい合う。
梅は、まだ表で過ごすには寒い今時分に花を咲かせるから、せっかく可憐な花をつけても、 じっくり鑑賞されたり花見で浮かれたりされない。
もう10年くらい前だったか、都心に事務所があるときに、風で折れた花のついた梅の枝を拾い、 ペットボトルに水を入れて活けて置いたことがあった。
殺風景な室内にほんのりと甘い春の匂いが漂って、深夜の孤独な作業の最中に、ふと心が和んだものだった。
自分は、いったい幾つくらいのときから、こうした季節の移ろいを意識しはじめたのだろう……。
この春から高校生になる甥がまだ3歳の頃、実家の近所の里山へ散歩に連れて行ったことがあった。
あぜ道を一人先に歩いていた彼は、野辺に綿帽子になったたんぽぽを見つけ、それを手折って、その場にちょこんと座り込んだ。そして、 その綿毛をフッと小さい息で吹き、風に乗って飛んでいく綿毛を見上げながら、「気持ちいいなぁ」と心の底から呟いた。
それを見ていて、こんな幼子にもしっかりした季節感があるんだなぁと感動した。
三つの頃にそうした感覚がはっきり自覚できるのだとしたら、もう45回、ぼくは春を感じてきたことになる。あと幾度、 ほのぼのと季節を感じることができるのだろう……。
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