昔から、四国の『遍路』という行為やそれを行う人たちに、なんともいえない違和感と、薄気味の悪さを感じていた。
今、空海というじつに面白いキャラクターの実像を思い描く作業を続けているのだが、空海は、後に自分を慕って…… というより縋ってといったほうがいいかもしれないが……四国を巡る遍路たちに、同情もしていなければ、 他力本願のその品性の低さをどこかで嗤っているのではないかという思いが、ますます強くなってきた。
そんな中、司馬遼太郎の『空海の風景』の中に、次のような一文を見つけた。
「日和佐に入ると、医王山薬師寺はちょうど縁日であった。石段を厄年の男女が織るように上下しており、 登る者は一段のぼるごとに一枚ずつ一円アルミ硬貨をおとしてゆく。齢の数だけおとすのだというが、異様な光景であった。 なかには壮漢が小さな老女をかるがると背負い、どちらも石のように無表情な顔でのぼってゆく。背中にとまっている老女が、 一枚ずつ軽い硬貨をこぼしていた。空海という、日本史上もっとも形而上的な思考を持ち、 それを一分のくるいもなく論理化する構成力に長けた観念主義者が、 そのどういう部分でこのようなひとびとの俗願とむすびついているのであろう。 しかも空海歿後1200年を経てなおこれらの人の群を石段の上へひきあげつづけているのは空海のなにがそうさせるのかということになれば、 どうにも筆者が感じている空海像がこの浦の黄土色の砂の上から舞いあがり、乱気流のかなたで激しく変形してゆくような恐れをおさえきれない… …」
まったく同感だ。
『弧』としての完成をとことんまで問い詰め、人と交わらず、「救いは自らの内にある」とした空海が、どうして、 ただひたすら縋りつく怠惰な人間の同行者となるなどという発想ができるのだろう?
空海その人は、「お大師様」などと軽々しく自分が呼ばれたかったとは到底思えない。論を説き、その論を理解し、 自分なりの道を歩んで近づいてくる者ならば、よろこんで手を差し伸べるかもしれないが、「自分がなんとか救われたい」などという俗願は、 唾棄したに違いない。
そもそも、孤高の道を是とした空海が、「同行」などという卑屈な姿勢に加担するはずがない。
遍路は、空海が四国にしかけた壮大なフェイクだ。それを真に受ける哀れな者たちを空海はあざ笑いながら見下ろしている。
調べれば調べるほど、空海は高野山で入定したのではなく、四国の山深くに眠っているという気がしてくる。 自分が仕掛けたフェイクに群がる「亡者たち」を自分の眠りを妨げるものに対する結界として利用しながら……。
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