以前、とある時計メーカーの日本代理店へ取材に行った際、 広告担当の女性がHanhartのけっこうゴツイ腕時計をしているのが目についた。
どうして、その時計をしているのか聞いてみると、「手巻きの時計が好きなんですよ。毎朝、7時のニュースで時刻を合わせて、 一日分のゼンマイを巻きあげて、仕事に出掛けるんですけど、そんな些細な儀式が、一日の始まりって感じで、気が引き締まるんです」と、 答えが返ってきた。
それを一緒に聞いていた、今は"RIDE"という二輪のストーリー誌の編集長をしているS君が、嬉しそうに話を返した。
「ぼくも手巻きが好きなんですけど、ぼくは、バイクに乗るときに、エンジンをかけてからゆっくりと巻くんです。で、 ちょうど巻き上がったときにエンジンの暖気が済んで、発進すると調子がいいんですよ」
そして、自分の腕にしていたオメガのスピードマスターを彼女に見せた。
一日をこれから始めようというとき、あるいは、一つの作業に一区切りつけて、別の作業へ移行しようというとき、ちょっとした「儀式」 を挟むと、気分が変わっていい。
ぼくの愛用の時計は自動巻だが、最近はゼンマイがへたってきたのか、一杯に巻き上げても一日しか持たず、 気がつくととまっているので、その都度、携帯で時刻を確認して合わせている……これは気分が変わるルーティンの「儀式」というよりも、 メンテナンスのサインだから、早くメーカーに調整に出さなければいけないのだが(笑)
今朝は、久しぶりにサイフォンを引っ張り出してコーヒーを淹れ、その間、香なぞを焚いてみた。
ほんとうは、気候や気分に合わせて豆を選び、それも生豆から焙煎して淹れたいところなのだが、 ミディアムローストのオーガニックコーヒーを挽いて、少し薄めに淹れて、大きいマグカップにたっぷり注いだ。
かなりおおざっぱな「儀式」だけれど、アルコールランプの揺れる炎や、フラスコの中を上下する水とコーヒー、 そしてゆっくり揺れながら立ち上る香の煙を眺めていると、やっぱり、生活の中で、 ささいな儀式をいくつか取り入れて暮らしたほうが豊かなのでないかと思えてくる。
効率や合理性ばかり追い求めてきた結果が、今の環境破壊や人間性の疎外をもたらしたのだから、人類全体が、ここらで少し一休みして、 機械式時計のゼンマイを巻くような、アナログな儀式をしてみたほうがいいのかもしれない。
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