今年のゴールデンウィークは、懐かしい熊野を巡ってきた。その模様は、速報として昭文社のblogに掲載し、 今は、記事にまとめるために、旅のシーンを思い返しながら、メモを整理している。
前回訪れたのは、五年前……いや六年前だろうか。大学時代の親友が熊野の出身で、学生時代に初めて訪れてから、 ぼくは何度となく熊野に通った。前回は、春にその友人のお父さんが亡くなったことを知らずにいて、その新盆の日にふらりと訪れて、 友人をびっくりさせたのだった。もちろん、ぼくもびっくりした。
18歳のときに父親を失ったぼくを、彼の親父さんはとても気に掛けてくれて、ぼくにとっても父親のような存在だった。
今から3年前、熊野古道が世界遺産に指定されると、今では故郷で教師をしている友人は、 真っ先にぼくに電話でその快挙を知らせてくれた。
今回、世界遺産に指定されてから初めての熊野訪問で、じつは少し不安があった。アプローチが大変で、 東京から行くとなるとたどり着くまでに二日はかかった僻遠の土地だからこそ、昔ながらの風景と自然が残り、人も素朴だったのに、 今では観光客が押し寄せて、俗化されてしまったのではなかろうかと……。
でも、そんなことは杞憂だった。
そして、熊野は、今回も心に残る出会いを演出してくれた。
イザナミノミコトの墓とされる花の窟では、地元の方が、ご神体である巨岩に向かって跪き、 独特な作法で熱心に祈りを捧げる光景に出会った。その翌日、新宮の神倉神社を訪ねて、帰ろうとすると、 参道を掃き掃除していた地元の人に声を掛けられた。「あそこに見える岩屋が、神様が下りられたところなんですよ」。そして、「ゴトビキ岩」 と呼ばれるご神体とされる岩の陰に案内され、「本当のお祈りの仕方を教えてあげるからね」と、それは、まさに前日、 花の窟で捧げられていた祈りの作法と同じものだった。
熊野三山の奧の宮である玉置神社では、深いに森に木霊する「勇壮」とも言えるような祝詞の奏上を聴いた。ふつう、 神社で上げられる祝詞は、厳かではあるが穏やかなトーンだが、玉置神社の祝詞は、 覆い被さる紀伊山地の圧倒的で濃密な自然を突き破るかのように渾身の力をこめて奏上されていた。
それは、熊野の自然そのものを象徴するようで、樹齢3000年を越えるといわれるご神木に向かって、 唱えられる大祓詞を聴いているうちに、胸に熱いものがこみあげてきた。巨大な自然にただ圧倒されるのではなく、また、 そこに潜もうとするのでもなく、ちっぽけな一個の人間ではあるけれど、圧倒的な自然と一体であり、自分も不可分であることを高らかに宣言し、 同時に、そうあらしめてくれる自然を言祝ぐといったような、ダイナミズムに、自然と涙がこぼれ落ちてきた。
さらに、紀伊半島を縦断して吉野に抜け、多武峰の談山神社を訪れると、ここでは雅で可憐な巫女の舞とともに、 優雅に上げられる玉置神社とは対照的な祝詞を聴いた。
いずれの場所へ行っても、まるであらかじめ予約していたかのような、あるいは訪ねる僕たちを向こうが待っていてくれたような、 そんなタイミングで、特別なものに出会った。
そして、熊野は、ぼくにとって、さらに特別な土地になった。
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