自我に囚われたくないと思っているのに、気がつけばいつも自我にがんじがらめ。
「離見の見」の境地を常に身近に置いて、すぐにそこに入れるようになりたいと思いながら、どうして、いつもつまらない「自己」 が顔をもたげてきてしまうのか……。
「だれだって、自分が利用されているとは思いたくない。自分でもそう認めるのを最後の最後まで遅らせようとするものだよ。…… わたしにも一つのプライドがある。愚かな、間違ったプライドかもしれないが。自分なりの理由で自分なりの決断を下すことへのプライドだ」
「だれにとってもいちばん不幸なことがあるとしたら……それはだれにもなにごとにも利用されないことである」
「『なにか、わたしにできることは?』と聞くべきところだろうね……しかし、むかしスキップが教えてくれたのによると、 それは英語の中でいちばん厭ったらしい愚劣な表現だそうだ」
(引用は 「タイタンの妖女」カート・ヴォネガット・ジュニア ハヤカワ文庫)
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