沖縄本島の東、世界遺産の一つである斎場御嶽(セイファウタキ)の沖合に久高島が浮かんでいます。以前、沖縄御嶽探訪記でもご紹介しましたが、 ここは、沖縄創生神話にまつわる「聖地」として知られています。
女神が拓いたとされる久高島。その女神に仕える「ノロ」と呼ばれる巫女たちが、独特の宗教文化を形作っています。
恵まれた自然の中にあって、必要なだけのものを戴き、恵みに感謝して、祈りを捧げる生活。それは、 自然と穏やかに共生するための智慧だったことがよくわかります。そして、大量消費社会の現代にもっとも欠けているものであることが……。
久高島に伝わる「イザイホー」と呼ばれる祭りは、12年に一度、島のノロが総出で行う久高島でもっとも重要な祭りですが、 それが1978年を最後に後継者がいないために途絶されています。
80年代初頭に500人を越えていた人口が、今ではその半分。ノロの後継者も減り続けています。
78年の最後のイザイホーを取材し、久高島の歴史と文化を掘り下げることをライフワークとしてきた比嘉康雄さんという方がいました。 この記録映画は、2000年に亡くなられた比嘉さんへのオマージュでもありました。
今回、ぼくが観た上映では、その比嘉さんの最期の半月あまりを追った『原郷のニライカナイへ』も併映されました。
末期ガンで余命半月と告げられている比嘉さんは、重病であることなど微塵も感じさせない矍鑠とした姿で、懐かしい久高島を訪ね、 久高島の東にある彼岸=ニライカナイへ向かって、静かに祈りを捧げます。
自宅の書斎に戻って、淡々と久高島の信仰について語り、最期に監督が「死を目前にして、どのような心境ですか」と、 残酷ともいえるような質問をします。
「不思議なことにね、もうすぐ死ぬということがわかっていても、私は怖さを感じないんですよ。逆に、 自分の人生が久高島とそこに住む人たちに出会えたことで、とても幸せだったと思えるんですね。久高島の信仰では、 肉体は死んでも魂は不滅だとされています。健全な魂はニライカナイへと旅立ち、そして、自分の孫に転生して戻ってくると」
比嘉さんは、にこやかに笑いながらそう答えます。
「沖縄でもね、琉球政 府が父性原理を持ち込んで、 社会を合理化しようとすると、 無駄な争いばかりが増えてしまい、競争社会になってしまった。だけど、 久高島の母性社会に身を置いてみると、 自然への感謝の気持ちを持ち続けて生きていれば、 戦争なんて起こるはずがないことがよくわかるんですよ。新しい世紀を迎えて、 私たちが滅びずに、幸せであるためには、今一度、 母なる自然に対する感謝の気持ちを取り戻さなければいけないのではないでしょうか……」
そんな言葉は、まさに辞世となりました。
比嘉さんは、メッセージとともに、「日本人の魂の原郷 沖縄久高島」 という素晴らしい著作も残されました。
「私は、ジャーナリストでもなければ研究者でもない。私は、人はどうして生きるのか、人が生を受けたことの意味は何か、 ただそれだけが知りたくて、ずっと旅を続けてきただけなんです……」
そんな言葉も、深く心に残りました。
『久高島オデッセイ』は、自主上映という形で、全国各地で上映されています。ぜひ、検索で調べて、近くで上映されていたら、 観に行ってください!!
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