一昨日、白馬八方尾根でブリザードに吹かれていた。登っていくぼくたちの正面から吹き付けてくる飛雪は、細かいけれど固く、 唯一露出した顔面を叩く。この枝尾根で、まともに前を向いて歩いていられないのだから、主稜線は立っていられないほどの風速だろう。
でも、不思議に危機感もなく、吹きすさぶブリザードを突いて尾根を歩いていくことが気持ちよかった。
こういう単純明快な自然現象というのは、ある意味、じつに心地いい。風の呼吸を見計らって、こちらも身構えれば、この程度の風なら、 まず吹き飛ばされる心配はない…といいつつ、不注意から、借り物のストックを吹き飛ばされてしまったのだれど。
先日、別なブログに書いたのだが、 パタゴニアの創設者、イヴォン・シュイナードが書いた『社員をサーフィンに行かせよう』を読んで、ぼくは目の覚める思いがした。
大昔、夢中になって山に登っていた頃、自分が思っていたこと。それは、 環境に与えるインパクトがミニマムなライフスタイルを営むこと。そして、環境を回復し、 人間が自然と接することで心が豊かになることを伝えること。そのために、自分がフィールドに密着した場所にあって、 活動的な生活を実践することだった。
そんなことは、当たり前のようにできると確信していた。
ところが、なんと遠回りをしてしまったことか……。
17歳の時に、ぼくは白馬村に一ヶ月滞在した。当時、「学生村」といって、白馬の涼しい環境の中で受験勉強に励んで貰おうと、 村を挙げて、これに協力する民宿を募り、一泊3食3000円という値段で、学生を受け入れていた。
バイトをして貯めたお金を全てつぎこんで、ぼくが滞在したのは、白馬村神城にある山重という屋号の民宿だった。
当時、すでに山に目覚めていたぼくは、憧れの北アルプスを前にして、山ばかり見て過ごしていた。
あれから30年。今、再び白馬に縁を得て、ここに拠点を置こうと考えている。それは、 長い都会生活で失ってしまったぼくのかつてのビジョンを取り戻す第一歩となるかもしれない。
そんなことを考えてブリザードに対していると、「これは一種の洗礼なのかもしれない」などと思えてきた。
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