**冬至の朝日を拝む「風切地蔵」。ちょうど太陽が昇ってくる方向にはもう一体の風切地蔵があり、 またこの背後の北アルプス山中にももう一体あって、この冬至の太陽によって一直線に結ばれる**
もうすぐ2006年も暮れ、新しい年を迎えようとしています。新年は、初日の出を拝みに行こうと考えている人も多いと思いますが、 どうして初日の出を拝むのか考えてみたことがあるでしょうか?
じつは、太陽を拝む、御来光を拝するといった儀式は、その源を古い太陽信仰に持っています。
まず、夏至は太陽の力がいちばん強くなる日。この日は最大になった太陽から力を貰うことで、 息災で元気でいたいという願いが込められています。冬至は力が極小となった太陽に向かって一年の感謝を捧げると同時に、 その再生を願うという意味がありました。
また春分と秋分はその日を境に太陽が活力を盛り返し、逆に太陽の力が次第に衰えていく日であり、やはりこの日の太陽を拝むことで、 太陽の恵みに感謝したり、寒さに備える自覚を持つ節目としたものでした。
ただ単にそれらの節目となる太陽を拝むだけではなく、自然の地形を巧みに取り入れて、劇的な効果をもたらし、 一年の節目を印象深く刻み込もうとしたのが、先に紹介した冬至の太陽を導き入れる戸隠奥社の参道であり、 戸隠奥社が冬至の日の出を望む方向を向いている意味でした。
今回は長野県北部を移動しながら、戸隠奥社と同様の仕掛けをいくつか巡りました。正確にいえば、 冬至の翌日とその翌々日に巡ったわけですが、いずれの場所でも、とても不思議で厳粛な光景と出会うことができました。
戸隠奥社で朝日を拝んだその夕方は、上田市にある生島足島神社で夕陽を拝みました。じつは、この神社の参道は、 冬至の入り日の方向を向いていて、見事に参道の向こう、鳥居の真ん中に日が沈んでいきました。
**冬至の太陽が生島足島神社の参道の向こうに沈んでいく。 この劇的な光景をみんなが立ちすくんで眺める**
翌日の朝は、これまで何度か紹介した白馬の「風切地蔵」で朝日を待ち受けました。これも見事に、冬至の太陽を正面に仰ぎ、 そこにはもう一つの風切地蔵が配されていて、さらに背後の北アルプスに配されたもう一体と、 三体の風切地蔵が冬至の朝日で一直線に結ばれることが確認できました。
じつは、そんな「仕掛け」が、まだまだ、日本にも世界にもたくさんあります。
また、折りに触れて、そんな昔の人たちが自然と親しんだ……というか自然を崇拝した名残などもお伝えしていこうと思っています。
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