とある雑誌で、レイラインを巡る旅の連載をしている。その来月発売号の中で、ぼくは、ゲニウス・ ロキ=地霊に呼ばれる感覚について書いた。少し長いが引用してみる。
「今年の春、長野放送というローカルテレビ局がぼくのレイライン探索に興味を持ち、特番化が決定した。
長野県内にあるレイラインを中心に番組を構成していこうということになり、白馬の風切地蔵に白羽の矢が立った。だが、
地元のテレビ局がネットワークを使って調べても、ぼくが以前調べた以上のことはわからなかった。
そんな折、ぼくが担当することになった昭文社のアウトドアナビゲーターブログに、この風切地蔵のエピソードを載せたところ、なんと、
掲載直後に地元白馬で柄山峠の管理をされていて、風切地蔵のことを以前から調べているという下川さんという方からコメントをいただいた。
風切地蔵とは直接関係のないアウトドアのブログで願ってもない当事者に見つけられるとはなんという偶然だろう。しかも、
下川さんは長野放送と関連企業の白馬営業所に勤められていて、番組制作に協力してくださるという。なんだか出来過ぎたような話だが、
ぼくはなんとなくこんな展開を予感していた。
レイラインを探索しはじめてから、こうしたまるでお膳立てされたような偶然にしばしば出くわすようになったからだ。
以前紹介した東北ストーンサークルでは、知り合いの編集者の父親がまさにその近くに移住して、詳しく調べていることを知って、連絡を取り、
地元の関係者を紹介してもらった。また若狭に残る不老不死伝説を調べているときは、
地元で湖上館PAMCOという宿を営んでいる田辺さんから、地域興しのアクティビティについて助言が欲しいとの依頼を受けて、
若狭に通うことになった。今では、湖上館をベースとして定期的に「若狭不老不死伝説ツアー」を実施している。
こうした偶然を今では「土地に呼ばれた」と解釈している。レイラインは土地に秘められた力=地霊=ゲニウス・ロキにまつわるものだ。
普段は眠っているゲニウス・ロキを、土地を調べ始めることで目覚めさせ、それが自らの存在をぼくというデバイスを通じて活性化させるために、
土地に縁の人間に引き合わせていく。信じがたい説に思われるかもしれないが、必要な情報や人物との出会いが、
期せずして向こうからやってくることが続くと、けして不思議なことには思えなくなってくる」
これに、今日、後日談がついた。
長野放送と同じCX系列の熊本放送の人から、レイラインについてアドバイスが欲しいと突然連絡が入った。 電話でしばらく話していると、長野放送と同様の趣旨で動いていることや、企画の進め方、さらには彼の同僚が長野放送にいて、 もしかするとぼくがからんだ番組の担当ディレクターと中がいいかもしれないなどと、次から次へと、 何かがお膳立てしたとしか思えない偶然が並んでいく。
初めの電話が、まるで旧知の間柄のような気がして、だいぶ長い間話をした。そして、 参考資料にと上記の原稿の全文を送ることになった。
彼からは、すぐに返事があって、いろいろ重なった偶然が、白馬のゲニウス・ロキの力によるものかもしれないと綴っていた。
思い返せば、ぼくと白馬との縁は、はるか以前に始まっていた。
もう30年近く前、ぼくは白馬村の神城というところに夏休みの1ヶ月間滞在した。受験生を対象に、涼しい白馬で、 一般の家庭に民泊して勉強をしてもらうという「学生村」という企画で、当時一日3000円くらいで三食ついていた。
滞在前の2ヶ月ほど集中してアルバイトをして資金を貯め、バックパック一つ背負って出かけたわけだが、ぼくの目的は、 勉強というよりは、当時山登りを始めたばかりで、憧れの北アルプスを眺めながら日がな一日過ごし、 機会があれば一つ二つのピークに登ってみたいということだった。
結局、ピークに登る野望は達せられず、もちろん、勉強のほうも一向に捗らず、一ヶ月はあっという間に経ってしまったのだが、この時、 白馬の空気がとても自分に合っている気がして、いつかはこんなところで暮らそうと心に決めた。
白馬ののんびりが祟って、大学には一浪で入ることになったが、モラトリアムの数年間は、 かつて憧れだったアルプスが自分のホームグラウンドになった。そして、その頃は、白馬とは特定せずに、自分は近い将来、 北アルプスか八ヶ岳の麓に住むことになると、確信していた。
だが、現実は違っていた。漠然と山の生活を思い描いた学生時代から延々20数年、 ぼくは唾棄していたはずの東京での狭苦しい暮らしに埋没してしまうことになる。
この10月の末に、20年住んだ調布のアパートから、都下の別の市のアパートに移ることになった。引っ越し荷物が120個、 どこにどうすればそんなにものが収まるのか不思議なほどあった。いったい、ぼくは何をこんなに背負い込んでしまったのか……。
バックパック一つでどこでも渡り歩いていた、あの自由な頃の自分が、無性に懐かしくなった。
引っ越しをきっかけにして、パンドラの筺を開いたように、若い頃の夢や、 夢とは呼べないほどの矮小だけれどそれぞれに光を放つイメージが、どんどん蘇ってきた。
すると、かつて触れあったゲニウス・ロキたちが、まるで一斉に蘇ったかのように、ぼくを呼び始めたのだ。
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