日本神話中の国譲りの逸話では、天から派遣されたタケミカズチ神が出雲に降り立ち、オオクニヌシ神に地上を天孫に譲ることを迫る。
オオクニヌシ神はこれを承諾するが、オオクニヌシ神の次男タテミナカタ神はこれを拒み、タケミカズチ神とタテミナカタ神は闘うことになる。
しかし、タテミナカタ神は天孫一の武勇で知られたタケミカズチ神の敵ではなく、たちまち破れて敗走する。タケミカズチ神はタテミナカタ神を諏訪まで追い詰め、この地に永遠にとどまることを約束に、命を繋ぐ。
そのタテミナカタ神を祀ったのが諏訪大社で、冬には氷結した水面が氷の圧力で激しい音をたてて断裂する「神渡り」で有名な諏訪湖を挟んで、上社本宮、上社前宮、下社春宮、下社秋宮の四社がワンセットとなっている。
一説には、上社前宮のご神体山である守屋山に、敗走してきたタテミナカタ神が降臨したとされる。拙著「レイラインハンター」や「レイラインハンティング」では、タテミナカタ神を追走したタケミカズチ神が祀られる鹿島神宮が、守屋山と同緯度にあり、鹿島神宮の西を向いた参道が、ピッタリ守屋山を差していることを紹介した。それは、あたかも未だにタテミナカタ神とタケミカズチ神の闘争が続いており、タケミカズチ神が監視の目を光らせているようにも見える。
諏訪大社では、6年に一度、御柱祭が開かれる。
四社それぞれ境内の四隅に、備林から切り出されたモミの大木がまるで天と交信するアンテナのように立てられている。
この御柱を寅年と申年に新しいものに立て替える儀式が御柱祭だ。
御柱を切り出し、斜面を落とす木落としでは、柱の先端に乗ることが氏子にとって最高の名誉とされるが、過去、この儀式では、多くの犠牲者が出ている。
諏訪大社の祭神タテミナカタ神は、民俗学では生贄を好む神として知られている。様々な儀式では、森の動物が作物とともに供えられ、古くは人身御供も行われていたとされる。
御柱祭の木落としも、先乗りを勤めて犠牲となる事が、今でも積極的ではないにせよ名誉と考えられているふしがある。
インカやマヤでは、戦士が自らの命を神に捧げることが最高の名誉と考えられ、石の供犠台の上に横たわった戦士は、神官が己の心臓をえぐり出す間、ただ恍惚としていたという。
西洋的なヒューマニズムの観点からすると、生贄など許されないことだが、諏訪の神にしろ、インカやマヤの神にしろ、それを信奉する人たちは、より大きなスケールの宇宙観を持っていたのかもしれない。
彼らにとっては、宇宙を構成するものはエネルギーであり、生命エネルギーもその一つだったのかもしれない。疲弊した自然を刷新するため、あるいは宇宙に対して自らの意思を伝え、祈りを届けるためには、生命のエネルギーを注ぎ込むことが必要であり、それは大きなポテンシャルを持っているというイメージが共有されていたのだろう。
御柱祭のある年にだけ作られるお守りがある。
立て替えられた古い御柱を小口に切って、小さな木札として首からぶら下げられるようにしたお守り。今回、諏訪大社を訪ねて、ちょうどこのお守りを見つけたので、さっそく首からぶら下げてみた。
金属のネックレスとは違って、軽く温かな木札は、首から下げていることを忘れさせる。でも、いつも心臓の上あたりに優しい温かみがあって、気持ちを落ち着けてくれる。
この安らぎは、宇宙と交信するためにこめられた生命エネルギーが持つ揺らぎのようなものの効果なのかもしれない。
余談だが、諏訪大社を構成する四社の構造と関係は、いずれじっくり調べてみようと思っている。
レイラインハンターでは、鹿島神宮や上賀茂神社の異常な構造とそこに秘められた神話を解き明かしたが、それらに匹敵する、あるいはそれらを凌駕する謎がここには秘められている気がする。
その一端は、上社本宮の北を向いた本殿や、下社春宮の裏にある巨石遺構「万治の石仏」が方位角160°を向き、それが上社本宮を正確に指し示していることなどに現れている。
その詳細は、本格的に諏訪を調査してから紹介したいと思う。
コメント