もう長い間、祖母の夢を見ていない。といっても、祖母が亡くなってから、夢に登場したのは、ほんの数えるほどしかないから、 頻度からいえば、特別、ブランクが開いたとも言えないのかもしれない。
いちばん最初に見た祖母の夢は、通夜の晩に、祖母を小舟に乗せて、三途の川を渡っていく夢だった。
対岸までたどり着き、祖母が先に降りて、ぼくも続こうとすると、「お前は帰るんだよ」と優しいながらも毅然とした口調で制し、 ぼくはしぶしぶ対岸へ引き返した。
そこで目を覚ますと、ぼくは高熱を出して眠っていたそうで、臨月の妹に看病されていた。
祖母は17年前の2月1日にこの世を去った。その月の24日に、妹に娘が生まれた。身長が140cmあまりで、 子どものペンギンのように歩いていた祖母に対して、ぼくの姪にあたるこの子は、身長170cmのハイジャンプのホープで、 祖母とは対照的だが、どこか、おっとりしながらも毅然とした性格は、祖母を連想させる。
この姪のおかげで、祖母が亡くなってからの月日がリアルに感じられる。
祖母の臨終の瞬間には立ち会えなかった。
両親が共稼ぎだったため、ぼくは、ほとんど祖母に育てられた。5歳のとき妹が生まれて、 その場所を明け渡さなければならなくなるときまで、ぼくは、小さな祖母に包まれるように、一緒の布団で寝ていた。
誰に似たのか、ぼくも祖母とは対照的に大柄に育ち、学校が引けると、いつも祖母と一緒にいて、祖母の日常の仕事を手伝っていた。
猫の額ほどだが、小さな畑に野菜を植えて、畝を刻んだり、豆の弦が這うための柵を作ったり、風呂を沸かすための薪を割り、 梅が実ると、祖母と二人で、その実を落として、拾い集め、梅酒や梅干を作った。
「私は小さくて、力仕事もろくにできなくて、いつも癪に障っていたけど、おまえが大きくなって、代わりにやってくれるようになって、 ほんとに良かったよ」と、今にして思えば、ぼくをうまく使うための煽ての言葉に乗せられて、田舎家の仕事を小さい頃からやらされた。
もっとも、その仕事が、ぼくはまんざら嫌いではなかったし、今では、とても懐かしく思い出すと同時に、 これからエコライフに向かっていくために、必要な知識と技術をその頃に教え込まれていたことを感謝するほどだ。
94歳まで長生きして、晩年は、呆けることもなく、次々と友人たちに先立たれて行き、「早くお迎えが来ないかなぁ」 と呟いていた祖母は、きっと満足して成仏したから、今さら、ぼくの夢に登場するまでもないのだろう。
それにしても、あれから17年……棺に納めるために、抱き上げた祖母の小さな体が硬直して冷たくなっていたあの感触は、 まだありありとこの腕に残っているのに、そんなに月日が経ってしまったとは。
「おばあちゃん、そろそろ、ちらっとでいいから、夢の中に、登場してみないか?」
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