ロードショーも終盤ということもあって、席はガラガラだった。
ライフルのボルトを開閉する乾いた音、実包の重みのある金属音、マズルから噴き出す火薬の圧縮された爆発音、 そしてフルメタルジャケットがガラスを突き破る破壊力に比して非現実なほどのささやかともいえる破壊音。
砂漠を彷徨する乾きとあのジリジリと染みこんでくる暑さの感覚。 ドラッグの心地いい音楽的な酩酊感から足元に何もなくなっていく底なしの酩酊への変移感覚。どうしようもない寂しさから体を投げ出す虚しさ… …。
それらが不幸の連鎖の中に折り込まれ、ひたすら吐き気を催すシーンのカット割りが並べられていく。
『銃』が、一つの大きなモチーフになっているが、それに、人間の寂しさ、哀しさ、軽薄さが重ね合わされて、 奈落の底に落とされていく。
ごくわずかに折り込まれるホッとする人間の触れ合いで、「バベル以前」への回帰へのきっかけを訴えたかったようにも、 解釈できるけれど……。
しかし、この映画はブラッド・ピット主演でなかったら、巷間ではB級映画として、 一部の敏感な人たちだけに観られて終わりになってしまったのではないだろうか。
ディテールにこだわって、台詞ではなく、微妙な表情で語らせる演出やら情景の背後に見え隠れする虚無を音や色で表現する手法は、 どこか昔のソ連映画を連想させる。
行き着いた果ての消費社会としての東京は、いかにもサイバーパンクだが、「街が病んでいる」雰囲気が強くて、痛ましい。
人間一人一人の心があまりにも縮こまってしまい、自分のことだけで目一杯で、誰も人のことを思いやる心を亡くしている。 思いやりの心を微かに取り戻したときには、時はすでに遅い……しかし、そこで諦めずに、微かなきっかけを頼りに前に進んでいけば……。
一つの狙いは、『現存在』の意味あるいは無意味を説明するのではなく、印象として焼きつけること。そして、奈落の底にある『現存在』 からの脱却を、這いながらでもいいから図ることが必要だとメッセージすること……。
しかし、痛ましさがあまりにも大きいので、そこで観るものの心が疲れ果ててしまう気もするが……。
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