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レイラインハンター内田一成の「聖地学講座」
vol.289
2024年7月4日号
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◆今回の内容
○熊野と常世 その1
・隠野としての熊野
・補陀落渡海
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熊野と常世 その1
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「若狭に痕跡を残した渡来人たちは、不老不死の伝説を携えながらここから南下して行きました。平安京、平城京、藤原京とつないでいった彼らは、最後に熊野に行き着きます。この熊野も不老不死伝説に彩られた、もう一つの『常世の国』なのです」。
前回は、そんな一文で稿を終えました。今回、熊野以外のテーマを取り上げたら肩透かしになってしまいますので(笑)、前回の続きとして、常世のイメージが丹後・若狭と重なる熊野について考えてみたいと思います。
熊野もまた若狭同様に、私には馴染の深い土地です。大学時代の親友が熊野出身で、夏休みに彼の実家をはじめて訪ねたのはもう40年以上前になります。今は高速が伸びてかなり行きやすくなりましたが、当時は、延々と伊勢湾岸から紀伊半島の南部を横断する国道42号線を辿って名古屋からゆうに5,6時間はかかりました。
伊勢湾沿いの穏やかに光が踊る海をしばらく眺めながら国道を南下し、西に折れて海を背にすると、どんどん緑が深まり、熊野独特の深く緻密な、緑の大海とも形容できそうな森に吸い込まれていきます。今では巡礼の道として世界遺産に登録されている熊野古道も、40年前の当時は「熊野古道」という名前もほとんど知られておらず、古来の踏み跡も森に飲み込まれて痕跡も見えず、古代から中世にかけて、「伊勢路」と呼ばれた東からの巡礼路を多くの人が辿ったことなどまったく想像できませんでした。
本州一の多雨に育まれた濃密な森を抜けると、まさにポンッといった感じで視界が開け、波に削られた荒々しい岩礁と目を開けていられないほど眩しい白波を立てる熊野灘に迎えられます。熊野には豪壮な火まつりが伝わっていますが、その勇ましさそのものが風景となったようなその熊野灘の光景は、同じ外海の荒波が逆巻く鹿島灘で育った私でも圧倒されたのを覚えています。
中上健次の作品に『火まつり』がありますが、小説とともに彼が脚本を書き起こした映画を後に観て、登場する熊野人たちのプリミティヴともアルカイックともいえるような強烈な個性と彼らが構成する独特の社会の雰囲気が、熊野灘の風景のメタファともいえるものであることを後に痛感したのでした。
そうした、どこか異国めいたというか「異界めいた」熊野の自然風景に圧倒された人物に折口信夫がいます。彼ははじめて熊野の海と向き合ったときの思いを『妣が国へ・常世へ』に記しています。
「此の国に移り住んだ大昔は、其を聴きついだ語部の物語の上でも、やはり大昔の出来事として語られて居る。其本つ国については、先史考古学者や、比較言語学者や、古代史研究家が、若干の旁証を提供することがあるのに過ぎぬ。其子・其孫は、祖の渡らぬ先の国を、纏かに聞き知つて居たであらう。併し、其さへ直ぐに忘られて、唯残るは、父祖の口から吹き込まれた、本つ国に関する恋慕の心である。その千年・二千年前の祖々を動して居た力は、今も尚、われわれの心に生きて居ると信じる。
十年前、熊野に旅して、光り充つ真昼の海に突き出た大王个崎の尽端に立つた時、遥かな波路の果に、わが魂のふるさとのある様な気がしてならなかった。此をはかない詩人気どりの感傷と卑下する気には、今以てなれない。此は是、曾ては祖々の胸を煽り立てた懐郷心(すたるい)の、間歇遺伝(あたゐずむ)として、現れたものではなからうか」。
前回の丹後に徐福伝説があったように、この熊野にも徐福伝説が伝わっています。折口は、ここでは明確に徐福の名は出していませんが、古代の徐福一行の渡来や、さらには、もっと昔の海洋民族の南方からの渡来を熊野灘の風景からイメージしたのでしょう。それは、折口が後に展開することになる「来迎神=マレビト」の概念をより明確に補強することになったはずです。
●隠野としての熊野
日本神話の中で、熊野はイザナミが葬られた場所として登場します。「一書に曰く、伊弉冉尊、火神を生みたまふ時に、灼かれて神退りましき、故れ紀伊国の熊野の有馬村に葬りまつる。 土俗此の神の魂を祭るに、花ある時には花を以つて祭り、又鼓吹幡旗を用て歌ひ舞ひて祭る」(『日本書紀』神代巻(上))。
大きく弧を描く七里御浜の海岸は、大粒の玉砂利に埋め尽くされ、そこに荒波が打ち寄せると、虚空に吊るされた無数の重い鈴が響きわたるようで、思わず全身が打ち震えます。巫女が打ち振る玉鈴の清々しい音色が天界を想像させるとするならば、この音は深い深い冥界からの呼び声のようです。その海岸から陸のほうを見ると、屹立した白い巨岩が目に飛び込んできます。その頂上には長い綱が張られ、紙垂のようなものが下がっているのも確認できます。これがイザナミの陵とされる花の窟です。
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