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レイラインハンター内田一成の「聖地学講座」
vol.259
2023年4月6日号
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◆今回の内容
○渡来の観点から見た神社信仰
・八幡信仰
・稲荷信仰
・その他の渡来系神社
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渡来の観点から見た神社信仰
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日本には、おびただしい数の神社があります。その総計は、神官などが常駐しない小さな社まで含めるとおよそ8万社あまりといわれます。これは、明治初期の神社合祀が行われて以降の数ですから、それ以前、各集落ごとに産土を祀った鎮守があった頃なら、8万社を軽く越えていたと思われます。
そんな神社の中で、顕著に多いのが、八幡宮(八幡社)と稲荷社です。八幡宮は4万4千あまり、稲荷社が3万2千といわれていますから、両社を合わせて7万6千。現在ある神社のじつに95%がこの二社で占められていることになります。
このように、八幡宮と稲荷社は身近でもっともありふれている神社なのですが、その由来や祭神について、様々な説が錯綜していています。一般的には、八幡宮は大分県の宇佐神宮を本社とするといわれ、稲荷社は京都の伏見稲荷が本社とされます。しかし、個々の八幡宮や稲荷社を見ると、必ずしもそうとも限らないのです。
近年、朝鮮半島や大陸からの渡来民と彼らの信仰の研究が進み、渡来の観点から見直すと、宇佐神宮も伏見稲荷も渡来系の氏族の信仰が元になっていることがわかりました。神社信仰や神道というと、日本古来の純粋なものに思われがちですが、じつはその基層には、渡来民の信仰があるのです。
北陸にとくに多い白山信仰も、その背景に多くの謎があって、個人的に興味を持っています。どうして女神を中心とした三社形式なのか。祭神の菊理姫とはいったいどんな神なのか。そして、なぜ、「ククリヒメ」という読み方をするのか……。
菊理姫(白山比売)を祀る白山比咩神社の御神体山の頂上付近に縄文時代の祭祀遺跡があることから、これは縄文時代からの信仰が神道に引き継がれたもので、古い言葉の響きを伝えているなどという説もありますが、そもそも縄文時代の発音も祭祀形態も不明なのですから、そのように断定することはできません。
それに対して、渡来の信仰の研究からは、菊理姫は元々「高句麗姫」と呼ばれていたものが転訛して「ククリヒメ」になったという説があげられています。「コウクリヒメ」が「ククリヒメ」に転訛したとするのは論理的に無理がありません。
さらに、菊理姫を祭神とする白山信仰を開いた泰澄が渡来系の秦氏の出自であることや、北陸地方に日本神話に登場しない神が祀られている神社が多いことなども、渡来の信仰の観点から考えるとすっきりします。
そうしたことから、今回は、私たちが渡来民の信仰が、どのように神社信仰に根づいているかを考えてみたいと思います。
●八幡信仰●
まず、その数がもっとも多い八幡宮から見てみましょう。まず、八幡宮の「八幡=ヤハタ」の意味ですが、これは、色とりどりのたくさんの幡(旗)をつけた神木を立てて天神を招き、まわりを群集が舞い歌う神事に由来するとする説が一般的です。しかし、こうした習俗は日本ではあまり見られません。こうした神事や祭事がよく見られるのは、朝鮮半島なのです。
宇佐神宮の祭神は、応神天皇、比売神(宗像三女神)、息長帯姫神(オキナガタラシヒメ=神功皇后)の三神とされます。主神が姫神で三社形式をとるのは白山信仰と同じで、これもi日本古来の形式には見られず、朝鮮では馴染み深い祀り方です。
祭神の一柱に数えられている神功皇后は日本神話で朝鮮征伐を行ったとされます。その際、臨月だった神功皇后は、腹に帯を締めて遠征したといわれ、それが安産祈願の岩田帯の由来となるわけですが、応神天皇はその時に腹にあった子供ですから、神功皇后と応神天皇が八幡宮に祀られているのは、両者が一体で朝鮮に渡り、そこから八幡神(比売神)を勧請したことを暗示しているとも考えられます。
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