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レイラインハンター内田一成の「聖地学講座」
vol.223
2021年10月7日号
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◆今回の内容
○風景と地名
・「青」が示す異界への扉
・三才山は御射山
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風景と地名
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9月20日から10日あまり、毎年恒例の昭文社「ツーリングマップル」の取材で、中部北陸の各地を巡ってきました。
今回の取材はCOVID19蔓延による非常事態宣言下ということもあって、できるかぎり人の多い観光地などは避け、もっぱら「僻地」のような場所の道路状況の取材をメインにして、宿泊も人のいないキャンプサイトを中心にしました。
いつもなら取材の様子をSNSにアップしながら動くのですが、今回は状況が状況がだけに隠密行動的で、SNSも沈黙したままでした。もっとも、ほとんどの期間、携帯電話の受信圏外にいたので、アップしようと思ってもかなわないこともありましたが。
その取材も終盤に差し掛かったある日、雨上がりの朝に、福井県の敦賀を出発して、西へ向かいました。
途中、国道を外れて、通称「梅街道」と呼ばれる広域農道を辿っていました。深く稲穂を垂れた秋の風景が周囲に広がり、それを取り囲むように薄墨で描いたような山々が連なっています。若狭湾に面したこのあたりは昔から梅の栽培が盛んで、早春には、その山裾を真っ白い梅の花が彩ります。
前夜の雨の名残で、まだどんよりと雨雲が垂れ込め、ぐるりの山々には、中腹にまで雲が掛かかって、ゆっくりとたなびいています。それは、とくに目を引いたり、劇的な風景ではなく、どこにでもあるような農村風景なのですが、その風景の中にいる自分をふいに意識し、そのことに思わず胸を打たれました。
あらゆるものがバランスしていて、しかもそれがさり気なく、「なんでもなさの奇跡」とでもいえるような感じがして、自分もこの風景の一部と化していることが、とても心地良く、突然涙が溢れてきたのでした。
私の故郷の茨城県南部の太平洋岸も、自然条件としては若狭と同じ海と湖というアイテムがある土地ですが、山はなく、広大な平原が続いています。そして、海は荒々しく、稲穂を垂れる田の代わりに、巨大な規模の芋畑やメロン、スイカ畑が続いています。そんな故郷の景色を思い出すと、なおのこと若狭の景色とそれが示す気候風土の奇跡的な穏やかさが心に染みてきます。
若狭は朝廷や神宮に御食料を貢いだ御食国(みけつくに)として知られていました。同じ若狭湾に面する丹波の国は、伊勢外宮の祭神であり、天照大神の食事を司る豊受神の出自とされるところです。
そうした、朝廷やその氏神に食物を提供する主要な地域であったことは、単に豊かな実りをもたらす土地であったというだけでなく、ここに住む人たちが、恵まれた土地の条件を活かして、丁寧に作物を育んできたということも意味しています。その、この土地の人たちの思いも含めた「さりげない」風景だからこそ、心を打たれたのでしょう。
小浜から舞鶴に抜け、さらに丹後半島の突端近くまで北上して、新井崎神社に詣でました。巨大な黒い岩塊が積み重なった断崖の上に位置するこの社からは、広い若狭湾を一望できます。
ここには徐福の上陸地という伝承が残り、また、近くには浦島太郎伝説を伝える神社もあります。ともに不老不死の伝説を背景にした、大陸と日本をつなぐ、あるいは異界とこの世をつなぐ物語です。そんな物語が生まれるにふさわしい雰囲気が、この丹後には溢れています。
豊かな漁場である若狭湾を優しく見つめるように佇む社は、やはり御食国の風景そのものでした。
サイモン・シャーマは『風景と記憶』のなかで、風景がただ自然のものとしてそこにあるだけでなく、人が介在して風景に意味を付け加えることで、有機的な心象風景が生み出されると説いています。
田園風景が元からのその土地の自然に溶け込み、古代から変わることなく続けられてきた人の営みが、いまだ変わりなくそこにあるということが限りない安らぎの感覚をもたらす。そして、人は風景から様々なものを感じ取り、ときにそこに物語を紡ぎ、ときに自らもその物語の一部となる。そんなことを強く思いながら、10日間にわたる旅を続けました。
●「青」が示す異界への扉●
丹後から、また若狭に戻り、三方五湖の一つ、水月湖の辺りに佇む馴染みの宿で荷を下ろしました。部屋の窓を開けると、目の前には鏡のような水月湖の湖面が広がります。夜、彼方の山の端を割って月が昇ると、空は深い紺青を帯び、それが湖面に写って、あたり一面が奥深い紺青の世界に包まれます。
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