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レイラインハンター内田一成の「聖地学講座」
vol.216
2021年6月17日号
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◆今回の内容
○ヒルデガルトという「幻視者」
・修道女ヒルデガルト
・異端を逃れるだけでなく
・原罪以前へ
・暗黒の中世の中の光
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ヒルデガルトという「幻視者」
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前回の『意識と聖性』では、3万5千年前にホモ・サピエンスが真っ暗な洞窟の中で自己の脳が発する<内在光>を見たのがきっかけとなって、能動的発展的な「意識」を獲得したという仮説を掘り下げました。
聖書の『創世記』<創造の七日間・第一日>には、「神、光ありといいたまひければ光あり」と記されていますが、他の多くの宗教でも、世界創生の瞬間に光が満ちたと語られています。それは、まさに3万5千年前にホモ・サピエンスが精神進化の大きな一歩を記したその瞬間の記憶を物語っているのかもしれません。
さらに大きなスケールで考えれば、<宇宙創生>の瞬間に満ち溢れたビッグバンの光、その「宇宙の記憶」を表しているのかもしれません。
空海が室戸岬の御厨人窟(みくろど)に籠もり、ついに悟りに達した瞬間を『三教指帰』では、「谷響を惜しまず明星来影す」と記しています。明星の光が口に飛び込んだ瞬間、それは、空海の「内観」を照らし、彼を一気に明晰な悟りの境地に導きました。これも明らかに光による精神進化の一瞬でしょう。
親鸞にも多くの光にまつわるエピソードがあります。親鸞の場合は、「法難」と呼ばれる危機に瀕した際に、空から強烈な光が指掛け、それによって救われたと親鸞の伝記である『御伝鈔』が伝えています。私くらいの世代だと、危機に見舞われた瞬間に強烈な光に包まれて変身するウルトラマンを連想してしまいますが。
それはともかく、空海や親鸞だけでなく、宗教者の多く、中でも「幻視者」と呼ばれるような人間は、必ずといていいほど光によって啓示がもたらされたと語っています。モーゼ、キリスト、マホメットは言うに及ばず、神秘主義の系譜に連なる、ブラヴァツキー、グルジェフ、ウスペンスキー、シュタイナー、そしてゲーテや宮沢賢治もみな、エピファニー(偉大なものの顕現)の印として「光」を目撃しました。
さらに、キリスト教に伝わる「秘蹟」の数々も「光」を発端にして具体的な事象が惹起されていきます。そんな多くの事例を考えると、私たちホモ・サピエンスは、3万5千年前以降、頻繁に<内在光現象>による意識の進化を遂げてきているのかもしれません。
ところで、今回は、そんな<内在光現象>を経験したと考えられる一人の幻視者、ヒルデガルトを取り上げたいと思います。といっても、<内在光現象>をさらに深く掘り下げるというわけではなく、ヒルデガルトを通じて、「幻視」という現象と、それがキリスト教社会にどんな影響を与えたのか、そして、一般に暗黒時代と称される中世という時代における「光」の存在にフォーカスするのが主眼です。
●修道女ヒルデガルト●
ヒルデガルトは、一般にはカトリックにおける「聖人」の一人と考えられていますが、教会から正式に聖人に列せられた記録は残されていません。ローマ=バチカンの意向としては、彼女の功績から聖人に列するのを是としたのですが、彼女の地元であったドイツ・マインツ教区教会との深い軋轢のため、マインツからの推薦が得られず、1000年あまりも宙ぶらりんになっているのです。しかし、庶民の間では熱狂的に支持され、実質的な「聖人」と考えられています。
今回、なぜ多くの幻視者の中からとくにヒルデガルトを取り上げるのかといえば、他の幻視者は、幻視の発端となるエピファニーを経験した後に、単にあやふやなイメージを語り、預言を残したに過ぎないのに対して、ヒルデガルトは聖職者としての自分の役目をしっかりと自覚し、キリスト教神学が目指す、原罪からの開放という究極の目標を明確に意識して、自分の幻視を預言として定着させた宗教人は他にいなかったからです。
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